
火壺雨壺風壺
在同所後山上上古ヨリ此号ヲナシ。
自然ノ三穴ニシテ石ノ蓋アリ。風ヲ止メ雨ヲ乞フニハ此所経ヲ納入テ行法ヲナスニ所願必ズ験アリ。此所魔所ナリトテ土人為怖也。
白慧『山州名跡志』巻5、小山伊兵衛(京都)、1711
京都、大原の近くに金毘羅山がそびえている。連休の4月29日に出かけた。

江文峠に車を停め、鳥居をくぐる。しかし神社はなく、山道を上がっていく。結構歩いてから琴平新宮社に出た。
京都寺社案内 やはりここに崇徳院が祀られていたようだ。

4月15日に鳥取に出かけた。雪に閉ざされていた御熊神社にやっと行けた。
「古くは『因幡民談記』にみえる伝えである。三蔵社の条にいう。高草郡三蔵という村の辺にある。柱大明神と号す。この社の後の山の騎士の土の中から、石の柱の小口が二三尺あるいは四五尺ばかり、柱を積み置いたように、重なり合って抜け出て見える。太さは二尺まわり、三尺まわりの石柱である。その形は四角、六角、八角、そのまま材木の挽き物などを割り立てたように見える。社に登る階段なども、みなこのような石である。土地の人の伝えに、この社の神が石の橋をつくって隠岐の国へ渡ろうとした。一夜で造り立てようとしたところ急に夜があけ、事は成らず、そのまま捨ておいた跡であるという。柱大明神という呼称は、この石の柱に由来している。兎は隠岐からワニの橋を渡って因幡に来た。神は因幡から隠岐へ渡ろうとして石の橋を造ったが、完成できなかったという。」(『因幡の白兎神話の謎』小島瓔禮「
オホクニヌシと因幡の白兎」P187)
御熊地図