フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

出雲大社

出雲大社参道 出雲大社参道2 出雲大社鳥居
「律令制下においても、出雲臣は国造を世襲し、熊野大社が鎮座する意宇郡は、神郡として重視され、出雲臣は国造と意宇郡大領を兼任した。新国造の制度は、補任の形式をとったが、国造就任のおりには、朝廷に参向して神賀詞を奏上した。霊亀二年(七一六)の国造果安(はたやす)の奏上、神亀元年(七二四)の国造広嶋の奏上をはじめとして、天長十年(八三三)の国造豊持の奏上まで、神賀詞の申上が行われた。広嶋は天平五年(七三三)の『出雲国風土記』編纂者の有力者となり、記紀神話とは異なった出雲土着の伝承を収録している。国造職は、南北朝の時代から、千家・北島両家に分かれてうけつがれたが、この両家は出雲国造の系脈を継承して今日に及ぶ。特にその相続にあたっての火継式は有名である。」(『島根県の地名』から)
出雲大社素戔嗚社 出雲大社神体山 出雲大社千家国造館
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島根県立古代歴史博物館

7月31日は朝9時発で出雲大社隣の古代出雲歴史博物館に集合。
古代出雲歴博001 古代出雲歴博002
常設展のみを観たがずいぶん充実している。

出雲調査

DIC_001.jpg
 7月30日から8月4日まで出雲調査だった。初日は、島根県立図書館で集合。「現代思想」2013年12月号総特集「出雲」があったので、三浦祐之と赤坂憲雄の対談を読んでいた。
 合流して、夕食は皆美館へ行く。写真は松江大橋から見える松江城。まだ体調がよくない。

 

高松塚古墳

高松塚遠望
 キトラから整備された散歩道を行くと、遠く高松塚が見えてくる。高松塚古墳壁画を発掘した関西大学の網干善教さんには、仏大通信教育で学芸員を取った時に講義を受けた覚えがある。善教さんも、文化庁の措置には怒っていたようだ。
高松塚古墳 高松塚周回路 高松塚から
「高松塚古墳
 彩色壁画発見まで…
 高松塚古墳は飛鳥地方の西南部に位置し、この一帯は桧隈(ひのくま)と呼ばれています。渡来人がとくに居住したといわれ、周辺には天武・持統・欽明・文武の各皇陵や中尾山古墳、岩屋山古墳などが築かれています。江戸時代のころ、高松塚は文武天皇陵ではないかと伝承されていた記録も多くみられます。
 地元の人が墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘ったところ凝灰岩の切石を発見、これがきっかけとなって昭和47年3月から調査が行われ壁画発見となったのです。
 原寸・原色で再現した”飛鳥の秘宝”展示品紹介
彩色壁画
・四神の図と日像・月像
 四神は中国の思想に基くもので古来天子の象徴として用いられ、四方を鎮護し東西南北の方位を表します。青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北・亀と蛇)は星座の形から具象化されたものです。青龍・白虎の上部にそれぞれ日像・月像が描かれており、天井の星宿とともに被葬者の尊貴性を物語っていると思われます。
・人物群像
 男子4人、女子4人各1組の群像が、東西両壁に2組ずつ(計16人)描かれています。男子群像のいずれもが蓋(きぬがさ)、柳筥(やなぎばこ)、床凡(しょうぎ)、鉾(ほこ)のようなものを持っているのに対し、女子群像は2人ずつが東壁では団扇(だんせん)、払子(ほっす)を、西壁では翳(さしば)、如意(にょい)を持っているのが特色です。どの像もすぐれた筆致で実に細かく描かれ、わが国美術、絵画史上すぐれた作品と評価されています。」(パンフレットから)
高松塚02 高松塚壁画館
 近くの文武天皇陵を通って、キトラ古墳駐車場まで帰る。
文武天皇陵





キトラ古墳

四神の館 キトラ古墳 国営飛鳥歴史公園
 キトラ古墳周辺は、駐車場や売店等も整備され、国営飛鳥歴史公園の一部になっている。高松塚古墳へも、途中までは公園内を散策しながら行ける。
「特別史跡 キトラ古墳 
                        史跡指定:平成12年7月31日 
                        特別史跡指定:平成12年11月24日
                        指定面積:約4,381㎡
キトラ古墳は7世紀末から8世紀初めに造られた古墳で、丘陵の南側斜面に位置します。墳丘は二段築成の円墳で、発掘調査の成果などから、下段の直径が13.8m、上段の直径が9.4mに復元できます。現在の墳丘は、下段部分を築造当時の大きさに復元しています。内部には二上山産凝灰岩の切石を18枚組み合わせて作られた石室があります。石室内部は奥行2.40m、幅1.04m、高さ1.24mの大きさで、鎌倉時代に盗掘を受けていましたが、刀装具片、琥珀玉などの副葬品の一部と、木棺片や棺の飾金具、人骨などが出土しています。 昭和58年に行ったファイバースコープによる石室内部の探査で、北壁に玄武が描かれていることが分かり、高松塚古墳に次ぐ我が国で二例目の大陸的な壁画古墳であることが明らかとなりました。その後の小型カメラによる探査では、青龍、白虎、朱雀、十二支像、天文図がみつかりました。
 石室内部の小型カメラによる探査では、壁画が危険な状態にあることも明確となりました。そのため、早急な対応が必要とされ、平成15年に仮設保護覆屋を設置し、平成16年に石室内の調査を行いました。その結果、すべての壁画を取り外して保存処理を行う方針が決定しました。
 この方針を受けて平成22年までにすべての壁画が取り外され、修理が進められました。現在は壁画の保存・公開が行われています。
                           平成28年 文化庁」(案内板から)
 キトラも高松塚でも、文化庁の失態によって、保存状態が悪くなったというのは、有名なハナシであるが、りっぱなのを造ったものである。

キトラ02 キトラ04

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