フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

奄美の郷

奄美の郷ドーム 奄美パーク入口 奄美パーク展望台 奄美の郷滝
 いよいよ最終日、3月30日、もう一度田中一村美術館に行きたいので、空港行のバスに早く乗る。しかし、これは奄美パークを通らず、空港に直接着くので、荷物をコインロッカーに預けて、空港からタクシーで奄美パークへ行く。一村美術館の隣にある、展示施設「奄美の郷」も今回は見学。うまく、バスが来ないので、空港まで歩いて戻った。空港は大混雑だったが、バニラエアに乗って関西国際空港に帰り着いた。
奄美空港近辺海 奄美空港 奄美の郷01 一村図録
田中一村美術館で図録を買えるかと期待していたが、あまりなく、ただ過去のものが閲覧用にあったので、写真に撮っておいた。古書で集めればよいだろう。
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おがみ山公園

おがみ山から名瀬港 おがみ山公園
 島尾敏雄文学碑から引き返し、奄美図書館の前を通り、奄美小学校の辺りから山に近寄る。おがみ山公園に登る裏道が地図にあったからだ。山頂は鳥の声が聞こえ、ケラ類のドラミングの音もする。名瀬港の防波堤の向こうには立神(たちがみ)という島の沖に浮かぶ小島のことを奄美では一般名詞として言う小島が見える。また、名瀬の街の真ん中に、アーケードが見える。このアーケード街には、2日とも夕方立ち寄ってスーパーマーケット、グリーンストア末広店で面白そうな食品などをあれこれ買った。
 名瀬の街に下りて行って、一日よく歩いたので、一休み。日が暮れる前に昨夜とは違う居酒屋で夕食。

おがみ山公園 - Spherical Image - RICOH THETA


おがみ山公園山頂 - Spherical Image - RICOH THETA




島尾敏雄文学碑

島尾敏雄文学碑 旧奄美分館官舎 旧鹿児島県立図書館奄美分館
 島尾敏雄名瀬ゆかりの地マップから、
「旧奄美分館官舎および島尾敏雄文学碑
 昭和40年、鹿児島県立図書館奄美分館の構内に官舎が建設され、従来の住居からここに転居しました。この官舎には昭和50年に指宿市に転居するまでの10年間居住しました。ここで、代表作の『死の棘』(読売文学賞、芸術選奨、日本文学大賞)の連作を書きすすめながら、『名瀬だより』『日の移ろい』(谷崎潤一郎賞)、『硝子障子のシルエット』(毎日出版文化賞)など多くの作品を執筆・刊行しました。この建物は、県立奄美図書館が建設されて分館が移転するときに取り壊されることになっていたのですが、NPO法人島尾敏雄顕彰会が維持・管理に責任をもつことを条件に取り壊しをまぬがれ、奄美市からの委託を受けて現在にいたっています。外装・内装ともの建築当時の姿に修復された建物の内部は、当時の生活を感じられるように、什器類などもできるだけ当時のものを展示してあります。現在は都合によって一般公開できていませんが、見学希望などは申し出ていただければ、できるだけ対応できる体制になっています。
 同敷地内の文学碑は、島尾敏雄文学碑建立委員会によって、島尾敏雄奄美在住20年におけるさまざまの功績を讃えて建立されたもので、8回忌にあたる平成5年11月12日に除幕式が行われました。碑文は、島尾敏雄自筆の色紙の一文『病める葦も折らず、けぶる燈心も消さない』(『旧約聖書』第二イザヤ書の句)を写したものです。なお、毎年、11月12日には、ここで『島尾忌』が行われています。
旧鹿児島県立図書館奄美分館
 昭和33年4月に開設された旧鹿児島県立図書館奄美分館の建物です。この建物は、平成21年、鹿児島県立奄美図書館の開館と同時に奄美分館としての使命を終えました。道路建設のために閲覧室は取り壊されましたが、職員室や分館長室は残されて、現在は、小俣町の集会室になっています。玄関は、開設当時の面影をそのまま残しています。」


鹿児島県立奄美図書館 島尾敏雄記念室

奄美図書館 奄美図書館島尾敏雄記念室 
 昼食に生ビールも飲んでしまったので、奄美図書館で島尾敏雄や田中一村の資料でものんびりと探そうかと、行ってみた。すると、何と1階に島尾敏雄記念室があったのだ。奄美博物館の島尾敏雄展示に少々失望していたので、これは嬉しかった。鹿児島県立奄美分館館長時代の官邸の和室も再現されていて、ビデオ番組も時々画面停止するが、観られた。
 ところで、後ほど島尾敏雄、ミホの息子、島尾伸三が、母ミホの語りをたくさん収録した『ケンムンの島』を見ると、すごい話が載っていた。
「ケンムンの声
  その夫婦には、少しおつむの弱いお手伝いさんがいました。彼女はハーガマチ(赤い髪の毛)というようなあだ名で呼ばれていました。彼女の本当の名前など誰も覚えていません。あるいはハーガマチという名だけしかなかったのかもしれません。
 夜になっても畑に出かけた夫が帰宅しないので、妻は夫を迎えにハーガマチを畑へ行かせました。
「ハゲー!!ケンムンが出た」
 と、ハーガマチは一人で帰って来ました。山道を行くと、世にも恐ろしいケンムンの声が聞こえてきて、自分を呼ぶので、怖くて逃げ帰って来たというのです。
 翌朝になっても夫が帰って来ないので、小屋で一夜をあかしたのだろうと思い、妻は再びハーガマチに弁当を持たせて迎えに行かせました。
「ハゲー!!ケンムンがまだおる」
 ハーガマチはまた怯えて、用事をしないで帰って来ました。ケンムンがそんなにいつまでも同じ場所にいるはずがなく、夫のことが心配になった妻は、自分で出かけることにしました。
 ハーガマチがケンムンの声を聞いたというあたりへ来ましたが、山の中はいつものとおり静まりかえっています。さらに夫のいる畑へ向かうと、道に夫が倒れていて、もう死んでいました。右手には血のついた鎌が握られていて、片方の足は切り落とされて膝から下がありません。
 そして、夫の死体の脇には首のないハブの胴体が転がっていました。妻はこれで全てがわかりました。夫はハブに膝をカムンと噛まれたので、毒が全身に回る前に、すぐにその場で足を切り落としたのです。そして出血を止めるために紐で切り口をしっかり結わえたのです。」
(島尾伸三『ケンムンの島』、角川書店、2000年、P95~96)
 この話が、『南島雑話』にも、小さな挿絵があったのを想い出した。
ハブに打たれ足切図
 島尾敏雄記念室にあった孫の島尾マホがイラストを描いた「名瀬ゆかりの地マップ」を見ると、図書館近くに文学碑もあるようなので、足をのばすことにした。
島尾敏雄map01

田中一村終焉の家



 グーグル地図を見ると、有盛神社から田中一村終焉の家まで徒歩12分ほどである。事前にインターネットでの調査はしていたが、名瀬の郊外で、住宅街の中でややこしい所というような記述が多く、行くつもりはなかったのだ。しかし昨日空港線のバスから、案内板も見えていたので、行けるものなら行ってみようと思っていた。
一村石碑 一村家
 一村を奄美で受け入れたのが小笠原登という国立らい療養所奄美和光園医官だったということを、晩年の一村を撮った写真家、田辺周一のHPで知った。奄美和光園は今も和光トンネル入り口の左手にある。
 一村終焉の家はひっそりと建っていた。そこから1800mの和光トンネルを歩いて名瀬市街地に戻る。ちょうど昼だったので、トンネル出口近くの「とり新」で奄美名物鶏飯を食べる。
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