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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

神奈川県立歴史博物館

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11月25日紙芝居文化推進協議会手づくり紙芝居コンクール最終審査を見に行く前に、少し時間があったので、神奈川県立歴史博物館に行って見た。すると特別展「鎌倉ゆかりの芸能と儀礼」をやっていた。鎌倉御霊神社の面掛行列が取り上げられていて、おもしろかった。
「さて、源頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、当地は東国社会の政治的中心地として機構整備が進められてきました。学校の教科書には、公文所や問注所の設置、将軍家政所の開設などが重要事項として記載されているのではないでしょうか。大江氏や中原氏など、京都から下ってくる文筆能力に長けた官人たちによって鎌倉幕府の行政文書が発給されるようになっていくのです(当時の御家人たちは満足な文筆能力を備えておりません)。ですが、当時の社会は、政治だけで支配が成り立っているわけではなく、宗教に関わる儀礼の整備も重要だったのです。」(特別展ブログ第5回から)
鎌倉芸能儀礼001
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道成寺

道成寺山門 道成寺山門裏手 道成寺三重塔 道成寺本堂
 帰路の途中、道成寺に寄る。安珍清姫で有名なので、いまも観光客が団体で訪れている。一度、ここで絵解きを聴いた覚えがあるが、大分昔のこと。10月26日はこれで終わり。
道成寺護摩堂 道成寺念仏堂 道成寺縁起堂


たな梅

たな梅002 たな梅003
「 現在もよく食べられている田辺の名物に、なんば焼(南蛮焼)がある。エソやグチのすり身を使った焼き蒲鉾の一種で、平たい四角形をしており、真ん中に丸い焼き型があるのが特徴だ。それから、ごぼうとすりみを合わせたごぼう巻もある。こちらは魚皮で巻き、タレに漬けこんで焼き上げてある。
 田辺の福路町には、たな梅(店梅)、店喜、秋庄、栗照などのなんば焼の店が並び、かつては「かまぼこ通り」と呼ばれるほどであった。熊楠は店喜やたな梅がごひいきで、なんば焼やごぼう巻を後援者へのお礼や、息子の入院先への差し入れとして使っていた。1936年に旧地の中島資明海軍中将が来訪したときには、みずから栗照へ案内している。また、1929年の昭和天皇行幸の際、田辺南蛮焼組合がなんば焼を天覧に供する仲介役となったのも熊楠であった。熊楠の地域振興や郷土愛は、このように飲食物のかたちをとってあらわれることが多い。
 昭和初期の日記によれば、たな梅が年始の挨拶に訪れ、「蒲鉾」をもってきたとある。ほかに楠本肉店などの名も見え、南方家のおせちはなかなか賑やかだったようだ。ただし、なんば焼は高級品のため、ほかには田辺祭のときくらいしか食卓には上がらなかった。
 なんば焼は魚の身を「くずし」てつくることから、「くずし」「焼きくずし」と呼ばれた。いまでも地元ではこう呼ぶひとも多い。19世紀初頭に製造されるようになったといわれるが、はっきりとした起源はわかっていない。ただ、熊楠も愛用した店喜は江戸後期からの店で、田辺藩11代藩主・安藤籐寛が江戸への贈答品としてつくらせたと伝えていたという。
 たな梅は慶応年間に鈴木まさが始めたもので、現在も場所を変えずにつづいている。なんば焼という名は、大阪の難波から製法が伝わったからとも、異国情緒を漂わせる「南蛮」からとも、焼きとうもろこし(関西ではなんばと呼ぶ)の色に似ているからともいわれる。」(『南方熊楠と和歌山の食文化』から)
たな梅001 たな梅004 たな梅005
田辺市内に戻って福路町の「たな梅」に向かう。なんば焼やごぼう巻、きくらげ入りなどを買った。


円月島

円月島 番所崎
 渋滞を避けようと、反対側へ走ると、円月島(高嶋)が見えた。右手を見ると、南方熊楠記念館のある番所崎がある。

南方熊楠記念館

樹木1j 樹木2 樹木3
10月26日は白浜の南方熊楠記念館に向かう。白浜はさすがの観光地で、渋滞などしていると思ったら、工事中で片側通行であった。着くと、南方系植物に取り囲まれた登り坂を登る。
熊楠記念館02 熊楠記念館01
 ここで図録『南方熊楠と和歌山の食文化』と南方曼荼羅のTシャツを買った。屋上に上ると、まわりは海!
海1 海2 海3

南方マンダラ001 記念館観覧券001 記念館観覧券002
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