フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

瀧原宮

瀧原宮社叢 瀧原宮巨木 瀧原宮社務所
「 いまも大宮町にある滝原宮は、皇大神宮の別宮で遥宮(とおのみや)とよばれています。本宮につぐ高い格式の神社で、伊勢神宮の神社群のなかでも、内宮・外宮につづく第三位の実力をもって重要視された神社です。ことに、その社域の広大なことはおどろくべきで、43町8反(1町=約1万㎡)の欝蒼たる森は、優に内宮・外宮に匹敵する偉容をそなえています。社殿は、小さいけれども、いかにもむかしの多気大神宮の社地とみなすのにふさわしいすばらしい樹林です。
 この滝原宮のカミは、正式にはアマテラスだとされていますけれども、実はこのカミは水戸(みなと)神であるという、古くからのつたえがあるのです。水戸神とは、雨水をつかさどる”川のカミ”のことです。」(筑紫申真『アマテラスの誕生』P22~23)
瀧原宮全景 瀧原参拝順 瀧原宮と竝宮
「 この現存している滝原宮が、宇治へ引越していった多気大神宮のなごりであるとみなしてよいと思います。なぜなら、多気大神宮はまた別の名を滝原神宮とよばれていた、といわなければならないからです。『伊勢国風土記』の逸文は、「倭姫命、船に乗りて度会の上河に上りまして、滝原神宮を定めたまひき」と書きしるしています(いまも滝原宮のそばにある寺は、その名を滝原大神宮寺ととなえているくらいです)。しかも『倭姫命世記(せいき)』のしるすところによれば、アマテラスは倭姫に奉載されながら住みよいところをさがし求めて転々とすみかをかえ、北伊勢から南伊勢の海岸へやってきて宮川をさかのぼり、数年、滝原宮に住んでいましたが、どうもすみごこちがわるいというので、いまの皇大神宮(宇治)へ引越していったというのです。」
(筑紫申真『アマテラスの誕生』P23)
瀧原宮鳥居 瀧原宮拝殿 若宮神社 若宮社鳥居 長由介社
1月26日はこれで終わり、大台町から高見峠のトンネルを越えて大宇陀に向かう。峠周辺はたいへんな雪で、道路もまっ白だったが、スタッドレスを履いた4WDのハスラーのおかげで、事もなく帰れた。
瀧原大宇陀
スポンサーサイト

志摩市歴史民俗資料館

 伊雑宮から瀧原宮へ向かう途中に、志摩市歴史民俗資料館の看板を見つけて、寄って見た。役場の1階で、あまり期待せずに入ったが、けっこうな規模だった。
伊雑宮御師01 伊雑宮御師02
出版物も販売されており、「伊雑宮の御師たち」(1)(2)を入手した。2冊で1000円。そこから、紀勢大内山インターの方まで走り、高速でなく下の道を北上。途中鰻屋で昼食。
瀧原ルート

天の岩戸

天岩戸一ノ鳥居 天岩戸山道 天岩戸石神 天岩戸二ノ鳥居
 一ノ鳥居を過ぎた所に駐車場があって、そこに車を停めて、山道を登って行く。しばらく行くと、鳥居の向こうに石の樋から水が落ちている池が見えて来る。滝行をするための場所で、その上に脱衣場も作られている。
天岩戸水行場 天岩戸滝行場 天岩戸参道 天岩戸石段
「天の岩戸
 「天の岩戸」さんは、神路山の逢坂峠のふもとにある洞窟で、付近一帯を高天原ともよんでいる。天の岩戸神話になぞられているのもこの付近が杉の木立がうっそうとし、ひんやりとした霊気につつまれ、岩穴から渾々と清水が湧き出ている。この流れは禊滝と呼ばれる滝となってたえず神路ダムに流れまんまんとただよい、水面にはお獅子岩の岩影や緑こく育った神路山の植林のすがたをそのまま写し、志摩用水として日量3100トン、志摩住民の生活飲料水の源となっている。
 また、日本の「名水百選」に選ばれていて有名である。
 世界の真珠王御木本幸吉翁もかつては岩戸の崇拝者であり、昭和6年3月、当時の恵利原地区青年団員と記念の楠を手植えせられた。これが岩戸さんの中央にのびのびと育った楠で、御木本楠と名付けられている。
 地元、恵利原老人会では、毎月例祭をとり行い全国各地から特に四季を通じ訪れる人々でにぎわう。
 伊勢志摩国立公園
       磯部町役場
       磯部町観光協会
       恵利原区」
(案内板から)
天岩戸楠 天岩戸水穴 天岩戸拝所
恵利原の水穴というのが、元の名前のようだが、水の湧き出る穴と礼拝所もある。そこから、また登る道があり、鳥居をくぐり登っていくと、これも小さな穴が祀られていた。
風穴鳥居 風穴参道 天岩戸風穴

鸚鵡岩

伊雑宮遠望 鸚鵡岩山頂 鸚鵡岩遠景
伊雑宮の北に鸚鵡岩がある。山の上からは伊雑宮、御神田、伊雑ノ浦が遠望できる。
「 実際、鸚鵡岩はなかなか興味深いところだった。そこには巨岩があって、そこで叫ぶと谷の下でこだまして聞こえるというので鸚鵡岩というらしい。では、岩のところでなにか叫んでもらって、それを聞いてみようと下に降りてみると、ちょうど谷底にあたるところに拍子木がおいてある小屋「語り場」がある。どうやら逆らしい。下から拍子木を打ち、向うの反応を聞く。それはともかく、谷底にあたる場所から見ると鸚鵡岩は孤立した岩ではなく、巨大な岸壁の一部だということがよくわかる。そのスケールの大きさが忘れがたい印象を与える。
 それを見てもらうために同行の人たちにもこちらに来てもらうことにする。そして、そこからすぐ横にある道を上がっていくと、なんとその上のやや曲がったところに「聞き場」を発見する。つまり、こういうことらしい。鸚鵡岩、語り場、聞き場とちょうど三角形の頂点にあたる場所にあって、下で拍子木を打つと、それが鸚鵡岩ではねかえって、聞き場では岩が発したように聞こえてくるという仕掛けなのだった。そこはブラインドになっており、谷底が見えないのに音が良く響いて聞こえるというトリック。もちろん本来はそんなことのためにあるのではなく、そこもおそらく修験の信仰の地であったわけだが、それにしても鸚鵡岩とはよく名づけたものである。」
(植島啓司『伊勢神宮とは何か』P47~49)
鸚鵡岩語り場 語り場遠望 鸚鵡岩聞き場
鸚鵡岩鳥居 鸚鵡岩祠 鸚鵡岩全景

御神田(おみた)

御神田と社叢 鳥居と社叢 御神田広場
「伊雑宮の御田植祭と御料田
 伊雑宮の南側に隣接する御料田で、毎年6月24日に行われます伊雑宮の御田植祭は、大阪の住吉大社・千葉県の香取神宮の御田植祭とともに、日本三大御田植祭として数えられております。その始まりは大変古く、鎌倉時代若しくは平安時代の末期ともいわれ、国の重要無形文化財「磯部の御神田(おみた)」として指定されています。
 御料田には東の畔に黒木(皮付の木)の鳥居が立っており、これは神殿の無い所で神事を行う場合に用いられる珍しいものです。」
(案内板から)
御神田鳥居 御神田

次のページ

FC2Ad