研究ノートと書評

現在進行形の研究メモと入手可能な書物に関する記事

福栄寺からの返事

福栄寺ご住職様
 お便りをさせていただいたのは、もうずいぶん昔のことになりますが、そちらの周辺で昭和20年9月26日亡くなった久野文雄という方のことをご存じであれば、教えていただきたいということです。戒名は浄光普照信士。もともと名古屋市東区白壁町の名家、久野氏の一族で、東京で銀行に勤めなどされておられたようですが、病を得て(結核?)昭和13年ごろにはすでにそちらで療養をはじめています。同封のコピーにあるような家系で、本来なら久野家の菩提寺、大須の久野山清安寺にお墓があるはずなのですが、早くに家督を継がずに隠棲したためか、平和公園の清安寺にはお墓はないようです。
 ご存知かもしれませんが、この久野文雄氏の弟は、久野豊彦という方で、文学者として名を残した方です。お兄さんの文雄さんも二冊本を書いていて、そのことで私が研究をしているのです。
 もし、なにかご存知のことがあれば、お教えいただければたいへんありがたいです。また、そのことはだれそれが良く知っているというようなことでも、お教えいただけると、私からうかがいに出向きます。久野家と関わりのあるお家が、お寺の近くにあったのではないかと考えております。

回答
当時私は学徒兵として特別操縦見習士官に合格 昭和十八年より昭和二十一年迄戦闘機操縦者として南方に出陣 南方各地を転戦しておりました 従って村の事もあまり知りませんでしたし当時の事を知っている人は皆亡くなられて誰にきくと云ふ事も出来ません 寧ろ私が現在村の先輩として知らねばなりませんが私の寺は真宗大谷派東願寺の末寺で他宗の事はよく知りません 大須の久野山清安寺様の事も全く知りません ただし昭和十三年頃篠田で療養をしておられて由 私の中学時代の事で久野さんと云ふ方がおられると云うふ事はきいております 音信はありませんでした 今ではその家族が何処へ行かれたか全く分かりません 先づはこんな程度の事しか申上げられません 本当に失礼を致しました 

桃太郎神社と貞照寺(8)

老来覇気なし     福澤桃介
 私も今は善人になって意気地がなくなってしまったが、以前は随分覇気横溢という風であった。われわれの仲間に杉山榮というエンジニアとしては、日本一の技師が居る。木曽川開発が今日のような大規模になったのはこの人の功績といってもよい。しかるに大井のダムを造る相談を始めた時には、流石の杉山君も尻込みの態で、
『ダムというのは剣呑です。日本ではまだやる人がない。木曽川をまず水路式でやって、その後にダムをやったらよい。その内に米国で研究ができてからやった方が安全だ』
という。けれども私はそれがやってみたくてしょうがない。偉いものを造ってみようという野心に燃えた。ダムを造るためには金もかかる。木曽川は、男伊達なら木曾の流れを止めてみよという歌があるくらい激しい流れだから、出来ないという議論がある。社長も乱暴だ早過ぎるという議論もあったが、なにかまわないというので始めた。もしダムが崩潰したら、そこへ身を投げて死ねばよい。そうしたら神様になれる。木曾義仲と同じく永久に神様になれるんだ。どうせ弱い身体で長い命ではない。長い命でないものなら、あそこの神様になった方がよろしいと思ったり言ったりした。それが出来て私は神様になれずにしまった。ところがこの間も鵜沼に行ってみると別荘が建っている。そこで思った。木曽川に大洪水があっても大丈夫だが、もし大井のダムが崩れては下流にある鵜沼は駄目だ。大井のダムが潰れては大変だ。万一の場合には舟をやとって逃げようということを考えるほど、私は臆病になってしまった。そのくらい弱くなったのだ。病気になってからすっかり金も名誉心も何もない。神様になるよりも長生きさえすれば、よいという弱い気になってしまった。これでも病気が良くなったら、またきつくなるかも知れない。
『福澤桃介翁伝』1939年2月 福澤桃介翁伝記編纂所

桃太郎神社と貞照寺(7)

歴史と民俗 23―神奈川大学日本常民文化研究所論集23 (23) 歴史と民俗 23―神奈川大学日本常民文化研究所論集23 (23)
神奈川大学日本常民文化研究所 (2007/02)
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桃太郎神社と貞照寺(6)

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