フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

養父神社

養父神社鳥居 養父神社神門
「桃井塘雨の笈埃随筆は、この但馬考よりはよほど前に出たものと思うが、それにも亦同じ狼の宮のことが載せてある。
『この山(妙見山)の後の麓に養父明神在す。狼を使令として宮前に大石をもて狼の雌雄を彫造し、鉄鎖をもって繋いで左右に有り。諸社の高麗犬の如し。鄙国の村々にて猪鹿の為に田畑を荒さるることあれば、此明神へ参り立願して、狼を借り用いんといえば、此人かの繋ぎたる鎖を解いて其願にまかる。然して帰れば猪鹿の荒るること無し。かくして後又御供神酒を奉りて礼参す。誠に珍しき事也。』
 養父の五社大明神と妙見山との関係は、此記事の中にも少しも説いて居ない。現在は勿論二処の信仰は分立して居るから、各その社伝縁起の文字によって、連絡を見出すことは不可能であろう。こういう問題こそはもう一度、土地人の感覚に就いて今のうちに尋ねて置く必要があるのである。水谷神社や夜夫坐神社五座は、仮に延喜式以来の故跡のままとしても、狼に信仰までが、爰に居付きのものとは考え難い。もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像して居る。」(柳田国男『狼と鍛冶屋の姥』)
養父神社狛狼吽 養父神社狛狼阿
これは狛犬というよりは狼型か、出雲型であることはまちがいないが。
山野口神社
「山野口神社の御祭神は大山祇命であります。別称は『山の口のおおかみ』と申し上げ、流行病を退けられ『つきもの』を落とす神として広く信仰されています。この奥には神の滝があり上社跡、中社跡が遥拝できます。社殿は元禄年中(江戸時代)建立と伝えられております。」(案内板から)
養父神社地図
円山川に面している養父神社のすぐ北に小佐川が流れ込んでいる。そこを西に遡ると妙見山がそびえている。
「加門記という一冊の記録があって、是は稗史風に書き伸ばしてあるが、大要は其中からでも窺われる。高木加門という郷士の妻、或時山路に於て穽にかかった狼の命を助けて遣ったところが、狼は之を徳として其女の死後、継母を喰い殺して其姿を仮り、苛められて居た先妻の子を愛撫する。(中略)その狼を葬ったのが加門塚といい、是は実子で無いから無論背筋の毛の話は無いのである。」
と柳田が記しているのは『掃部狼婦物語』のこと、掃部之塚も宿南にあるようだ。





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