フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

若宮神社・狛河童

河童吽 若宮神社 河童阿
「河童の狛犬 西予市指定有形文化財
 拝殿の両側に河童の石像が狛犬のように若宮様をお守りしており、土地の人々はエンコ様と呼んで敬愛しています。向って左側の河童は鯛を抱えており、このような狛犬は全国でもこれ一例のみです。
 この河童は、高山城主宇都宮修理太夫正綱公(若宮様)にまつわる伝説で、正綱公の恩情と、河童の恩返しを現しております。
 三百年昔に輯成された『宇和旧記』にも、若宮様と河童の伝説が詳しく書かれて居ります。
 此の石像は、明治十四年(1881)に建てられました。
                   昭和四十九年十月一日 指定
                   西予市教育委員会」(案内板から)
正綱公廟 招福河童
「正綱公廟 西予市指定無形民俗文化財
 若宮様こと宇都宮修理太夫正綱公は、天正七年(1579)岡本城合戦の折、援軍として三間表へ赴き、土佐の長曾我部軍との合戦で討死しました。家臣達はその首級を持帰り、大松の根元へ埋めたとあります。
 その大松は松喰虫の為、昭和三十九年に枯れたのが惜しまれます。
 正綱公は、西園寺旗下黒瀬衆八騎の一人として、槍と馬の名手であったと伝えられ、宇和郡記にも『正綱は宇都宮氏にして、武勇衆に勝れたる名士なり、岡本城激戦の時戦死す』と書かれて居ます。
 廟に供えられたお水には、イボ取りの霊験があるとされ、常に清らかな水が供えられて居て、信徒の香華も断えません。
                  昭和五十七年五月一日 指定
                  西予市教育委員会」(案内板から)
「棟札 西予市指定有形文化財
 天保十三年(1842)に再建された時の棟札が現存し、次の様に書かれています。『天保辛丑年より同号十三壬寅二月二十二日正遷座奉仕神主、二葉山住、管氏主斗亮廣次
 謹上道山麓大松、若宮八幡社、再奉造立霊感鎮座護璽今上天子萬世長久征夷大将軍国主御武運長久、五穀豊饒、雨風順時、萬民和楽、漁業繁昌、云々』。とあり、世話人頭として與治兵衛、吉右衛門、庄官田中九郎治信興。外世話人二十四人、大工蔵貫村清蔵とあります。
 此の時は南向に建てられました。
 現在の社殿は、明治十二年に建立新築されたもので、此の時に居城の堂山城(城の森)が見えるようにと西向に建て替えられました。
                  昭和六十二年十月七日 指定
                  西予市教育委員会」(案内板から)
河童恩返伝説001
神社で配られているビラ




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