フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡遠望 鶴岡八幡石段 鶴岡八幡の賑わい
「 都市鎌倉といえば、鶴岡八幡宮を想起する読者も多いであろう。そして、鶴岡八幡宮は神社だと思っている読者が多いかも知れない。しかし、明治維新の神仏分離政策以前においては神主と僧侶とが共住する神宮寺であった。しかも史料には鶴岡八幡宮寺と表記され、かつ鶴岡八幡宮の総責任者である別当(社務)は僧侶であったことに示されるように僧侶のほうが優勢であった。そして、鶴岡八幡宮の裏側には二十五坊という、僧たちが住む住坊が存在していた。
 さらに、中世には、園城寺(滋賀県)の末寺の一つで、神仏分離以前までは仁王門、薬師堂、大塔、輪蔵をはじめとする仏教的施設が存在したのである。神仏分離にさいして、そうした施設は破壊されたが、仁王門に祀られていた仁王様(江戸時代のもの)が寿福寺に移され、今に伝わっている。」(P15)
(松尾剛次『中世都市鎌倉を歩く』中公新書、1997から)
鶴岡八幡宮 鶴岡八幡神門
宝物殿も見たが、修学旅行生などでずいぶんにぎわっている。




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