フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

古志郷

神門川古志郷 古志恵比寿神社
神戸川を渡る古志大橋の南、写真は古志の恵比寿神社。
「 古志郷は神戸(かんど)川左岸の古志町~知井宮町にあたり、古墳時代後期には出雲西部のナンバー2にあたる有力氏族(妙蓮寺山古墳、放れ山古墳の被葬者)が基盤とした地域である。ナンバー1、つまり出雲西部の最高首長一族(大念寺古墳、上塩冶築山古墳の被葬者)は神戸川右岸の日置郷、高岸郷を拠点とし、今市町~上塩冶町に古墳を築いた。古志郷の氏族はこれを補佐するような地位にあったとみられる。
 あえてナンバー2の領域である古志郷の神門川沿いに郡家が設置されたのは、そこが交通の要衝地であったからに他ならない。吉栗山で産した杵築大社(出雲大社)の用材を神門川で運んだことに象徴されるように、神門川を利用した水運は重要な交通手段であった。この神戸川を、幹線道路である正西道(古代山陰道)が渡る渡河地点、つまり陸上交通と水上交通の結節点を運んで郡家が置かれたのである。郡家と同所にあたる渡河地点には狭結駅(さようのうまや)が置かれ、神門川の渡し、渡船を管理していたことが想定される。」
(『解説出雲国風土記』P180)
古志本郷遺跡
(『古志本郷遺跡』1(斐伊川放水路建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅳ)建設省出雲工事事務所・島根県教育委員会、1999・3、から)
 『解説出雲国風土記』によると、古志という名前は越の国から来た人たちが関係しているとのこと。

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