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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

大分県立歴史博物館

これで3月22日、英彦山は終り。高住神社の前を通り、道の駅やまくにで昼食。大分県立歴史博物館へ向かう。
宇佐からの山々 大分県立歴史博物館
 ようやく雨が上がって来て、途中、中津、宇佐の平野から山々がよく見える。
「 香春の南方には日子山(英彦山)がそびえる。東北九州を代表する霊山として知られるが、この山に関わる縁起類の中で現存最古のものが『彦山流記』で、13世紀初期の成立であるが、注意するべきは『流記』が先行する縁起の抄出であり、先行縁起は常識的に平安時代に存在したことになる。そうすると、『流記』に収める主要伝承の原形は奈良時代末期から平安時代初期のころには成立していたと考えられる。
 その冒頭に、甲寅(きのえとら)の歳、権現が、震旦国天台山の王子晋の旧跡より来航し、最初、香春神に宿を借りたいと申し出る。香春神はこの場所が狭いことを理由に貸さなかった。権現は怒り、香春岳の樹木を引き取ったので山は磐石が露出したという。香春神はようやく三の岳の住処を譲ったので、権現はしばらくそこに居した後、彦山に移る。これが敏達天皇朝であったとしている。」(P71~72『八幡神と神仏習合』から)
「 小倉から日豊本線の列車に乗りこみ宇佐に向かう。座席が空いている限り、私は進行方向に向かって右側の席に座る。車窓に展開する山々の姿を眺めるのが実に楽しいからである。(中略)
 伊呂波川を渡るころ、八面山はかなり後方に退き、車窓にはいくつかの釣り鐘状の山々が林立する印象的な山姿が現れる。霞がかかっている時などは、まさに墨絵の世界を現出する。その中にひときわ高く突き立った山が目につく。稲積山(406m)である。」(P3、逵日出典『八幡神と神仏習合』から)
 歴史博物館から、別府の宿に向かう。
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