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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

渡辺綱灯籠

北野天満宮拝殿 渡辺綱灯篭
「渡邊綱(わたなべのつな)の燈籠 重要美術品
 渡邊綱は平安時代中期の武将源頼光(みなもとのよりみつ)の四天王の一人。大江山の酒吞童子、一条戻り橋での鬼との戦いはつとに有名。
 本燈籠の由来はこの一条戻り橋の鬼退治の話に遡る。
「渡邊綱が所用で夜半一条戻り橋にさしかかると、若く美しい女性に深夜のこととて家までおくってほしいと頼まれる。しばらく行くとその女性は恐ろしい鬼の姿となり綱を捕らえて舞い上がり、愛宕山へ連れ去ろう北野天満宮上空にさしかかる。その時、綱は太刀を抜き放ち、綱を掴んでいた鬼の片腕を切り落とし難を逃れる。」
 後日、綱はこれも北野天満宮の大神のおかげと神恩を感謝し、この石燈籠を寄進したという。」
(案内板から)
文子天満宮
「文子(あやこ)天満宮 末社
祭神 菅原大神(菅原道真公)
神徳 入試・学徳成就
例祭日 四月第二木曜 神幸祭
    四月第三日曜 還幸祭
 道真公が太宰府で生涯を閉じられて四十年を経た天慶5(942)年、右京七条二坊(現在の京都市下京区千本通り七条辺)に住む巫女多治比文子(たじひのあやこ)に菅公の神霊より、わが魂を右近馬場(現境内地)に祭れとのお告げがあり、文子はとりあえず自宅に菅公の御霊をお祭りした。これが北野天満宮の発祥である。
 その後、他の霊能者にも同じご神託が相つぎ、天暦元(947)年天満宮は現在地に移された。文子の住居跡は神殿につくり改め文子天満宮と称えられてきたが、やがて西の宮に移され、さらに明治6年この場所に遷座された。」
(案内板から)
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