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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

中尊寺月見坂

町営駐車場に車をとめて、いよいよ中尊寺に向けて月見坂を登る。
中尊寺境内01 月見坂
「八幡堂の由来
 やおよろずの神々のなかで、八幡神は最も早く仏教にとけ込み、八幡大菩薩と尊崇されてまいりました。
 祭神を応神天皇とする伝統的信仰から、皇室の祖神、国家の守護神として、ことに源氏の氏神として、八幡宮は諸国に造建され、広く信仰されてきました。
 天喜五(1057)年鎮守府将軍源頼義、義家、安倍氏追討のためこの地に至り、ここ月見坂で戦勝を祈願しました。いわゆる前九年の戦です。かくて長い戦いを収め、勝利の記念に京都石清水から迎えたのが鎌倉の八幡宮です(後それを頼朝が鶴岡に移建)。
 鎌倉時代「吾妻鏡」のなかに「中尊寺年中恒例の法会」として「八月放生会」と見えます。これは八月十五日の宇佐(九州)、石清水、鶴岡など八幡宮における放生会の事例からも、当社八幡神前における法会厳修とみなされ、以て当山におけるその神威の主要なることがうかがわれます。
 明治の神仏分離で、八幡堂と称し阿弥陀如来尊像も合祀庶人の熱心な御信仰をいただいております。
                                    邦世記
                        別当 中尊寺塔中 別所坊 敬白」と
(案内板から)
八幡堂 月見坂門
「由緒
 この堂は通称弁慶堂という文政九(1826)年の再建である。
 藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀愛宕宮と称した傍に義経公と弁慶の木像を安置す。弁慶像は文治五(1189)年四月高館落城と共に主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり。更に宝物を陳列国宝の馨及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある。代表的鎌倉彫である。」
(案内板から)
弁慶堂 弁慶像
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