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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

奥州市埋蔵文化財調査センター

奥州市埋蔵文化財入場券 奥州市埋蔵文化財
胆沢城跡に建つ研究展示施設。多賀城に国府があり、胆沢城に鎮守府が置かれる役割分担をされたが、それ以前は蝦夷の拠点であった。伊治呰麻呂なんて名前は知らなかった。
「伊治呰麻呂(いじのあざまろ)
 宝亀年間(七七〇―八〇)、蝦夷はしばしば叛し、国家もまた征討を行なっている。同七年、陸奥の軍三千人をもって胆沢の賊を伐っており、また、出羽でも賊勢強く東北奥地は不穏な形勢であった。陸奥では胆沢攻略のため覚べつ城(岩手県一関市)を築き拠点にしようと決めた。同十一年三月、按察使紀広純は覚城造営のため伊治城(宮城県栗原郡)に入城したが、突然、同行していた上治郡大領伊治呰麻呂(いじのあざまろ)が叛乱をおこし、広純や牡鹿郡大領道嶋大楯らは殺害された。原因は私怨と伝えるが、影響するところは大きく、多賀城も賊徒に掠奪され、その上放火までされてしまった。」
"えぞ【蝦夷】", 国史大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-10-10)
 ここで図録『坂上田村麻呂展』を手に入れる。
坂上田村麻呂展001

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