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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

弁慶と湛増 闘鶏神社境内

弁慶社 弁慶と湛増 大楠幹 大楠
「弁慶社
 例祭日 三月三日
 御祭神 武蔵坊弁慶
 紀州田辺は弁慶生誕の地と伝わり奥州平泉で弁慶が亡くなった事を悼み植えられた弁慶松に祀られていた御霊。
 御霊は智仁勇を体現する忠孝の鑑で町の繁栄を祈り、家内安全・社運隆昌・立身出生・衆災消除の信仰がある。」
(案内板から)
「闘鶏神社と弁慶
 源平の戦いは一の谷の合戦から海上戦に移り、当時最強を誇った熊野水軍の動向がその勝敗に大きな影響を与えることになり、熊野水軍の統率者である熊野別当湛増に対する源平双方の働きかけは激しさをきわめた。
 義経の命を受けた弁慶は急いで田辺に帰り、父湛増の説得に成功、湛増は白い鶏七羽紅い鶏七羽を闘わせて、神意を確かめ、湛増指揮のもと弁慶を先頭に若王子の御正体を奉持、金剛童子の旗をなびかせて総勢二千余人、二百余の舟に乗って堂々と壇の浦に向かって出陣、源氏の勝利に大きな役割を果たした。
 時に文治元(1185)年三月のことであった。
 昭和62年5月3日
武蔵坊弁慶・熊野水軍出陣八百年祭実行委員会」
(弁慶と湛増像由来から)
 闘鶏神社の境内には、藤巖神社をはじめ弁天、玉置、戎大黒の小祠や、本殿の両翼にも多くの神々が祀られている。

藤厳社 上中下御殿 弁天社 玉置社 戎大黒社
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