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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

たな梅

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「 現在もよく食べられている田辺の名物に、なんば焼(南蛮焼)がある。エソやグチのすり身を使った焼き蒲鉾の一種で、平たい四角形をしており、真ん中に丸い焼き型があるのが特徴だ。それから、ごぼうとすりみを合わせたごぼう巻もある。こちらは魚皮で巻き、タレに漬けこんで焼き上げてある。
 田辺の福路町には、たな梅(店梅)、店喜、秋庄、栗照などのなんば焼の店が並び、かつては「かまぼこ通り」と呼ばれるほどであった。熊楠は店喜やたな梅がごひいきで、なんば焼やごぼう巻を後援者へのお礼や、息子の入院先への差し入れとして使っていた。1936年に旧地の中島資明海軍中将が来訪したときには、みずから栗照へ案内している。また、1929年の昭和天皇行幸の際、田辺南蛮焼組合がなんば焼を天覧に供する仲介役となったのも熊楠であった。熊楠の地域振興や郷土愛は、このように飲食物のかたちをとってあらわれることが多い。
 昭和初期の日記によれば、たな梅が年始の挨拶に訪れ、「蒲鉾」をもってきたとある。ほかに楠本肉店などの名も見え、南方家のおせちはなかなか賑やかだったようだ。ただし、なんば焼は高級品のため、ほかには田辺祭のときくらいしか食卓には上がらなかった。
 なんば焼は魚の身を「くずし」てつくることから、「くずし」「焼きくずし」と呼ばれた。いまでも地元ではこう呼ぶひとも多い。19世紀初頭に製造されるようになったといわれるが、はっきりとした起源はわかっていない。ただ、熊楠も愛用した店喜は江戸後期からの店で、田辺藩11代藩主・安藤籐寛が江戸への贈答品としてつくらせたと伝えていたという。
 たな梅は慶応年間に鈴木まさが始めたもので、現在も場所を変えずにつづいている。なんば焼という名は、大阪の難波から製法が伝わったからとも、異国情緒を漂わせる「南蛮」からとも、焼きとうもろこし(関西ではなんばと呼ぶ)の色に似ているからともいわれる。」(『南方熊楠と和歌山の食文化』から)
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田辺市内に戻って福路町の「たな梅」に向かう。なんば焼やごぼう巻、きくらげ入りなどを買った。


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