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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

三遊亭圓朝住居跡

円朝宅跡
 亀戸から錦糸町まで電車で行って、そこから北斎通りを歩いて行く。少し雨模様。すみだ北斎美術館より手前の一本北の小さな公園の片隅に圓朝旧宅のパネルがあった。
「三遊亭圓朝住居跡
           所在地 墨田区亀沢二丁目十三番
 三遊亭圓朝(1839~1900)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した落語家です。本名は出渕次郎吉。父は二代目三遊亭圓生の門人橘家圓太郎で、後に圓朝も圓生に弟子入りしました。
 初舞台は弘化二(1845)年三月で、小圓太と名乗りますが、異父兄で僧侶の玄昌の勧めにより一時高座から離れました。池之端の紙屋葛西屋で奉公したり、玄昌の住まう谷中の長安寺に母と同居したのもこの頃で、新作怪談の創作に影響を与えたと考えられています。
 その後、再び圓生門に戻り十七歳で圓朝を称します。元治元(1864)年に二十六歳で両国垢離場(こりば)の昼席の真打となります。人情噺、怪談噺、落し噺などで江戸落語を集大成し、とりわけ人情噺では落語の話芸をより高度な次元に押し上げました。
 圓朝は明治九(1876)年十月に浜町から本所南二葉町二十三番地(この公園の南側、現在の亀沢二丁目十二番)に移り、同二十八年に牛込に転居するまでの十九年間をこの地で過ごしました。この間、本所に住んだ薪炭商塩原太助をモデルにした名作『塩原多助一代記』を生み、明治二十二年四月には三遊派の隆盛を記念して木母寺境内に三遊塚を建立しました。
 代表作に「真景累ヶ淵」「怪談牡丹灯籠」「怪談乳房榎」「塩原多助一代記」「文七元結(もっとい)」など多数あります。
                      平成二十五年三月
                      墨田区教育委員会」(案内板から)
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