フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

深田久弥 山の文化館

 別に趣味で蟹ノ目山に登ったわけではなく、大聖寺が深田久弥の町だったからだ。翌日、深田久弥 山の文化館に出かけて資料調査をする。
 蟹ノ目山は深田が「昔、頂に大木が二本あってあたかも蟹の目の様に見えたから、こう呼ぶ様になったさうである。」と書いていると、どの登山ガイドにもあるので、それなら周辺の記述もあるに違いないと思ったのだ。
 すると、深田は江戸期に書かれた「奥山遊覧記」に従って、大日山をめぐる山々をずいぶん歩いたこと、また、杉の水に叔母がいて、遊びに行ったことなど、大土、今立周辺に親しんでいたことがわかった。
杉ノ水地図 

「 杉の水の村には私の叔母がいた。昔の風習で、子供の多い家では、生まれた子供はすぐ養ない子(里子)に出された。どういうわけか、父の妹はそんな山奥へやられたのである。叔母は一年に一度か二度大聖寺へ出てきて、二、三晩私の家へ泊ると、また山奥へ帰って行った。私たち子供へのみやげは、いつも糸で数珠つなぎにした勝栗か、枝なりのほほずきにきまっていた。静かな物言いの優しい叔母だった。
 中学生の頃、夏休みに二度ばかり、私は山中から歩いて、九谷を通って叔母の家へ行った。叔母の夫はしきりに私に杉ノ水の先生になれと勧めた。分教場で先生はたった一人だが村の人がみな大事にしてくれるので、住む心配も食う心配もないと言った。米も出来ない本当の山奥であった。」
(深田久弥、「九谷・やきもの・その美・その思い出」、『日本のやきもの 10 九谷』淡交社、1964)
山の文化館地図
スポンサーサイト

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hottalab.blog103.fc2.com/tb.php/115-5c12d6dc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad