フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

市五郎大明神

御土居の上に祀られている市五郎大明神。もう一回行かないと。
市五郎1  市五郎2

「史跡 御土居
 御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
 台形の土塁と堀(堀の一部は川・池・沼を利用)からなり、その延長は22.5キロメートルに及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりに沿って築かれました。
 土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所にはいわゆる七口を設け洛外との出入口としました。
 江戸時代になると天下太平の世が続き、次々と取り壊され、北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。
 昭和5年(1930)、市内に残る御土居のうち8箇所が、京都の沿革を知るうえに、また、広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺跡として「史跡」に指定、昭和40年(1965)にさらに1箇所が追加され現在9箇所が指定地となっています。」(案内看板による)
地図
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市五郎大明神

   12月25日、京都アスニー、市立中央図書館で2回生ゼミをやる午前中、西院からフィールドワークをした。 「 土塁(御土居)が「神様」になっている。市五郎神社(京都市中京区西ノ京原町)という稲荷社のことだ。ここに土塁(御土居)が残っている(国史跡指定地)。境内は狭い。土塁(御土居)にピッタリとくっついて拝殿がある。つまり土塁(御土居)自体が神体なのだ。  その後、他にもあると知った。...

  • 2018/01/17(水) 06:19:23 |
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