フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

桃太郎神社と貞照寺(2)

木曾電気興業
1919(大正8)賤母(しずも)発電所竣工
大同電力
1923(大正12)読書(よみかき)発電所竣工
1924(大正13)大井発電所ダム水路式
創業者福沢桃介の一河川一社主義
「関西電力五十年史」2002年3月から

1910(明治43)名古屋電灯臨時株主総会で福沢歓迎の電友会と、反福沢の愛電会の対立。加藤重三郎名古屋市長、上遠野富之助名古屋商業会議所副会頭、矢田三井銀行支店長は妥協を斡旋。福沢は常務取締役を辞任し事態収拾。
1912(明治45)経営陣指名に大株主の福沢が一任される。福沢桃介の経営改革の特色は木曽川水系の水力開発を背景に、余剰電力の利用を意図した電力消費工業への多角化を進めた。
1917(大正6)名古屋電灯は製鉄部を設け電気製鉄に進出。
1918(大正7)木曾電気製鉄設立。製鉄事業と電源開発。
1919(大正8)木曾電気興業と改称。
1921(大正10)大同電力設立に参加。名古屋電灯と関西水力電気が合併し関西電気㈱発足。福沢は社長になるがすぐ退任し、以後は関西電気→東邦電力は福沢とは疎遠になる。
「中部地方電気事業史 上巻」1995年3月 中部電力から
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上遠野富之助と福沢桃介

ノートに上遠野と福沢の接点を書いてみた。ありそうでなさそうで。

  • 2007/08/21(火) 09:38:14 |
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桃太郎神社と貞照寺(1)

1913(大正2)志賀重昂、太田町(美濃加茂市)で講演の際、大田から犬山まで船で下り、峡谷美を日本ラインと名づける1914(大正3)愛知電気鉄道社長に福澤桃介就任1917(大正6)福澤桃介社長を退任、相談役に就任1921(大正10)名

  • 2007/08/21(火) 13:51:17 |
  • 研究ノートと書評

桃太郎神社と貞照寺(3)

(1)(2)を合わせてみると1910(明治43)名古屋電灯臨時株主総会で福沢歓迎の電友会と、反福沢の愛電会の対立。加藤重三郎名古屋市長、上遠野富之助名古屋商業会議所副会頭、矢田三井銀行支店長は妥協を斡旋。福沢は常務取締役を辞

  • 2007/08/21(火) 13:51:30 |
  • 研究ノートと書評

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