フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

桃太郎神社と貞照寺(4)

上遠野富之助氏(安政6年10月19日生 昭和3年5月26日 69才で死去)
旧秋田藩士上遠野豊氏の長男に生れた。明治16年出京して早稲田大学の前身、東京専門学校政治科に学んだ。このころ大隈伯爵、矢野文雄氏、犬養毅氏らの知遇をうけ、卒業後報知新聞の記者となり、政界へ進出を志して改進党の評議員となった。
 当時中京財界の巨頭といわれた奥田正香氏が上京した際、矢野氏の紹介によりはじめてその才を見こまれ、名古屋へ来ることをすすめられた。明治26年7月名古屋商業会議所(今の名古屋商工会議所)の書記長に就任し、奥田氏とともに日本車両製造株式会社の設立、名古屋株式取引所の再開などに尽力し、明治34年には名古屋市会議員に当選した。以来16年にわたって市政に参与し、その間38年から4期間議長をつとめた。
 43年8月には澁澤榮一男爵を団長とするアメリカ視察団に加わって、5ヶ月間アメリカ各地を巡遊した。この視察には神野金之助氏(先代)も参加したのであった。帰朝後12月に会社の取締役に就任し、明治の末ごろには明治銀行と日本車両製造の常務取締役、その他多くの会社に関係した。
(「名古屋鉄道社史」1971年から)
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貞照寺と川上貞奴

「子どもの文化」7+8月号の記事のためにトラックバックでいちおうまとめておく。

  • 2007/08/29(水) 09:19:58 |
  • 研究ノートと書評

上遠野富之助と福沢桃介

ノートに上遠野と福沢の接点を書いてみた。ありそうでなさそうで。

  • 2007/08/29(水) 09:21:58 |
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