フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

出雲熊野大社上の宮跡

熊野大社上宮跡遠景 熊野大社上宮跡 熊野大社上宮跡石碑
「熊野大神櫛御気野命は水と農業をつかさどる穀霊神で、もとは意宇川下流域に勢力を張る意宇氏(国造出雲氏)一族の部族神であったと推定される。古代律令制の下においては国造出雲氏が熊野・杵築両大社の祭祀を兼ねたことにより、当社は杵築社よりも上位に位置付けられた。天仁二年(一一〇九)一〇月二九日と仁安二年(一一六七)一一月一一日の大神宝使発遣に際し、出雲および山陰道では熊野神社だけがその対象とされたのは(殿暦・兵範記)、そうした古代以来の伝統に基づくものだったのであろう。しかし一〇世紀に国造出雲氏が杵築に移住してしまったことにより、熊野神社は国造出雲氏との関係を失って大きく勢力を後退させ、この後は意宇郡内の一地方神社としての道を歩むことを余儀なくされた。当社ではこうした困難を克服するためでもあろう、熊野信仰を積極的に受入れて、かつての天神(天照大神=伊勢宮)を下ノ宮、新しく導入された熊野権現を上ノ宮とする上下宮体制へと転換した。」(『島根県の地名』から)
これだと、上の宮は新しいということになる。


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熊野大社元宮遥拝所

熊野大社から意宇川沿いに上ると、上の宮跡があり、そこから天狗山を望める遥拝所に登れる。 「熊野大社元宮遥拝所  正面の最も高く聳える山が熊野山(標高610m)で、現在天狗山と言います。奈良時代に著された『出雲国風土記』に、「熊野山、熊野大神の社坐す」と記載され、山頂、やや下に大きな岩があり、元々それが熊野大社であったとされています。往古に思いを馳せ参拝ください。  尚、毎年五月の第...

  • 2017/09/18(月) 13:41:31 |
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