フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

雲龍山観音院

1月23日も日が暮れかけて来たので、最後に藍住町の観音院に向かう。
観音院山門周辺 観音院山門 観音院本堂
「 当山は、もと『雲龍山法隆寺』と謂い、新亀四年勅願僧勝道上人によって開創された由緒ある寺で、秘神秘仏の霊地といわれている。大同年間に弘法大師が、阿波ではじめて土砂加持を修せられたと伝う。
 中世の往古寛弘元年、一条天皇が真興大徳をして、大和子嶋山にて天下泰平を祈願したところ瑞祥あり。御出現御影向あそばしたのが『日本三躰随一本地三寶大荒神王』といわれる。
 阿波国主細川頼之候が京の管領に上りし時、神仏両部不二の荒神の大王たる三寶大荒神王の御威神力を聞し召し、天満天神のご神託をうけて弟四国管領詮春候に命じ、陣僧絶海上人に託願して、応安三年に当山の浄域に御遷宮し『三寶大荒神王本宮』とさだめられる。
 併せて、時を同じくして坂上田村麻呂の守護仏十一面観世音菩薩を迎え、秘神秘仏の社堂を建立して御奉安御安置される。爾来、阿波歴代国主の祈願祈祷所となる。
 また観音院というのは、南泉寺とともに井隅郷にありし阿波の仏刹法隆寺の塔頭であった。
 天正十年中富川の合戦にて阿波一帯は、長宗我部元親の兵火に遭うも、当山秘神秘仏の社堂のみ戦火の難を免れる。誠に秘神秘仏の恐煌の他なきと御神験御威徳の顕現を目の当たりにす。
 元和年間時の住坊寛勝上人は当山の伽藍を纏め、寺名を『法隆寺』改め『観音院』と改称す。
 その後も復亦不可思議奇異な霊験、み仏の御利益ありて、代々国主の帰依愈々盛んなり。
 今においても、檀家寺のみならず近郷近在の参詣者の祈願祈祷所として信奉を集めている。」(略沿革から)
観音院地図




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