フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

大峯修験者の碑等

大峯修験者碑 光明真言板碑 石厨子
大峯修験者の碑  光明真言板碑    脇ノ宿石厨子
「大峰修験者の碑
 高い石柱の四基は、大峯修験者(山伏)が、大峯入峯に際し建てた碑で、県の文化財に指定されています。
 元は、神社輪橋を渡った所に建っていましたが、明治の神仏分離により、此所に移されました。
向って右より
四号塔 延元元年(1336) 泰助 外30名
二号塔 正安四年(1302) 定廣 外170名
一号塔 正応六年(1293) 幸明 外90名
三号塔 文保三年(1319) 覚祐 外180名」
「光明真言板碑
 大きな板碑は、光明真言曼荼羅碑と言います。
寛文二年(1662)建立され、正面の円形の部分に、中央下より、時計の針の進む方向に、梵字で、光明真言が、背面には、多くの僧名が刻まれています。
 この頃より、光明真言講が形成され、この形の碑が建てられるようになりました。」
「脇ノ宿石厨子
 右の石厨子は、元「脇ノ宿」にありましたが、明治になり此所に移されました。
 内部には、葛城修験の御本尊「役の行者」の石像が安置されています。
 葛城修験は、毎年四月七日丹生明神の御神体を山伏の笈に移し、脇ノ宿にこもり、五月四日天野を出発し、加太より大和二上山まで二十八宿四十九院を巡り、六月十八日御神体を神社にお還しする神還祭まで修業を行います。」
(いずれも案内板から)
丹生都比売神社の境内脇にあった。


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