フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

徐福公園

徐福公園門 徐福像 徐福墓畔
「中国・秦の時代始皇帝の命で渡来したとされる徐福は、熊野の地に、捕鯨を始めたなど、多くの起源伝承を残している。実在したとされる徐福の渡来地伝承は、全国に点在するが、何せ紀元前の話。江戸時代紀州初代藩主徳川頼宜の命で建てられた徐福の墓は、墓として存在するのは全国でここだけ。徐福墓畔も栄枯盛衰を重ねるが、新宮鉄道が開設され、新宮駅ができると、この界隈も大正中期から次第に新開地となってゆく。佐藤春夫の父が界隈に家を建て、春夫の姪がここから新宮高等女学校に通い始め、春夫もここで過ごしたり、執筆したりすることも増えてくる。春夫に『若草の妻とこもるや徐福町』の句があり、春夫の中学時代以来の友人奥栄一など文学仲間の溜まり場にもなる。」(案内板から)
同行者の腰痛が思わしくなく、本日はこれにて宿へ。



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