フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

廣済寺

廣済寺山門 廣済寺本堂 廣済寺妙福堂
「広済寺は正徳四年(一七一四)創立、開山は日昌。境内に妙見堂があった(明治一二年調寺院明細帳)。『摂津名所図会』には能勢のせ妙見(現大阪府能勢町)とともに参詣人も多く、霊験も日々に新しいとある。近松門左衛門の信仰が厚く、享保元年の開山講中列名縁起(広済寺文書)、同二年の開山百講中列名縁起(同文書)に門左衛門の名がみえる。」
(『兵庫県の地名』から)
廣済寺妙見堂 妙見宮御額 妙見石像
「妙見宮御額
 明治維新 廃仏毀釈の狂風は当山もその被害を受け妙見宮本殿と境内地の半分以上を失った(現在廣済寺西隣、須佐男神社)。
 その頃の身延山第七十二世新井日薩上人は明治の三巨星の一人と云われ、当寺に立寄られた時に(北辰殿)と書かれた一面なり」(案内板から) 真ん中の写真がその額のようだが、茂みの中でよく見えない。
 つまり、もともと久々知須佐男神社と廣済寺は一体だったようだ。


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