フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

或る少女の死まで

saisei.jpg或る少女の死まで―他二篇 (岩波文庫)
(2003/11)
室生 犀星

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「さらに、黒壁と高尾と三角形をつくる高尾の奥の地点に倉(鞍)ケ岳という山があり、『三州奇談』などによると、そこも怪異が起こる場所であった。山頂の池は、富樫政親が非業な最期をとげたところとされ、夜には彼の朱塗りの鞍が、往々、水上に浮かぶことがあるので、人はおそれて絶対に水に入らない、といわれていた。そして、この伝承は滅びずに、やはり金沢出身の作家、室生犀星の作品『幼年時代』の中に、印象的な話しとして書きとめられている。」(P20)
『都市の民俗・金沢』
「加賀藩では河師というものがあって、鮎の季節や、鱒の季節には、目の下一尺以上あるものを捕るための、特別な河川(かわ)の漁師であって、帯刀を許されていた。ことに堀武三郎というのは、加賀では大川(おおかわ)である手取川(てどりがわ)でも、お城下さきを流れる犀川(さいかわ)でも、至るところの有名な淵や瀬頭(せがしら)を泳ぎ捜ることが上手であった。
 膳部職(ぜんぶしょく)から下命があると堀はいつも四十八時間以内には、立派な鮎や鱒を生け捕ってくるのであった。かれは、好んで、ぬしの棲んでいるという噂のある淵を泳ぎ入るのであった。そのころ、犀川の上流の大桑の淵に、ぬしがいてよく馬までも捕られるということがあった。
 堀はその淵の底をさぐって見た。夜のような深い静寂な底は、からだも痺れるほど冷却(ひえき)った清水が湧いていて、まるで氷が張っているような冷たさであった。その底に一つの人取亀がぴったりと腹這うていた。で、堀は亀の足の脇の下を擽(くすぐ)ると、亀は二、三尺動いた。まるで不思議な大きな石が動くように。――その亀の動いた下に暗い穴があった。かれは其処をくぐった。内部(なか)は、三、四間もあろうと思われる広さで、非常に沢山の鱒がこもっていた。堀はそれを手取りに必要なだけ(かれは必要以外の魚はとらなかった。)つかまえて、穴を這い出ようとすると、れいの人取亀がぴったりと入口を蓋していた。
 堀はまた脇腹をくすぐって、動き出したすきに穴を這い出た。堀は、この話をしたが誰もそこへ入って見るものがなかった。それからというものは堀はそこを唯一の「鱒の御料場」としていた。
 その堀が生涯で一番恐ろしかったという話は、鞍が岳の池を潜った時であった。この鞍が岳は、加賀の白山山脈もやがて東方に尽きようとしたところに、こんもりと盛り上った山があって、そこは昔佐々成政(さっさなりまさ)に攻め立てられて逃げ場を失った富樫政親(とがしまさちか)が馬上から城砦の池に飛び込んだ古戦場であった。毎年かれが馬とともに飛び込んだといううら盆の七月十五日に、いつもその定紋のついた鞍が浮き上った。なかには鞍の浮き上ったのを見たという村の人もあり、その日はべつに変りはないけれど、何ともいえぬ池の底鳴りがするという人もあった。不思議なことには、馬と一しょに飛び込んだ富樫政親の姿が、その折とうとう浮いてこなかったことであった。
 その池は深く青藍色の沈んだ色を見せて、さざ波一つ立たない日は、いかにもその底に深い怨恨に燃え沈んだ野武士の霊魂が沈潜していそうに思われるほど、静寂な、神秘的な凄い支配力をもって人人の神経を震わせてくるということであった。堀はこの伝説をきいて嗤(わら)った。そして、かれがこの池の底を探険するということが、お城下町に鳴りひびいて噂されたのであった。
 その日、堀は得物一つ持たずに池にもぐり込んだ。しずかな午後であった。かれはかなり永い間水面に浮かなかったが、しばらくして浮き上ってきた彼は、非常な蒼白な、恐怖のために絶えず筋肉をぴくぴくさせていた。そして何人にもその底の秘密を話さなかった。何者がいたかということや、どういうぬしが棲んでいたかということなど、一つも語らなかった。唯かれは河師としての生涯に、一番恐ろしい驚きをしたということのみを、あとで人人に話していた。それと同時にかれは河師の職をやめてしまった。」(室生犀星『幼年時代』から)
湖沼の伝説 大池
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  • 2008/03/14(金) 11:55:56 |
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