フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

観心寺

観心寺山門 観心寺石段 観心寺金堂 (2)
「寺伝によれば、大宝年間(七〇一―七〇四)役小角が開創し、初め雲心寺と号したという。いわゆる葛城修験の道場として開創されたものであろう。次いで空海が巡錫して北斗七星を勧請し、また一刻三礼して本尊を刻み、七体の仏像を鋳造したという。このことを伝える承和四年(八三七)三月三日付の観心寺縁起実録帳写(観心寺文書、以下特記しない場合はすべて同文書)は、錦部にしごり郡山中一千町・石川郡以南五〇〇町を寺領と記し、律令制の原則に照らしても同年の文書を写したとするには問題があるが、長治二年(一一〇五)一〇月日付河内国司庁宣案に「件御寺者、弘法高祖建立」と記し、後醍醐天皇も「大師御作不動」を召寄せているように(元弘三年一〇月二五日付後醍醐天皇綸旨など)当寺が空海の遺跡であり、空海が仏像も刻んだことは、平安時代以来広く信じられた伝承であった。高野山往還の途次、空海が当寺域に巡錫することは当然あり得たことと思われる。」(『大阪府の地名』から)
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