フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

萩塚さま

萩塚様看板 萩塚様正面 萩塚様小祠
 宇田姫神社から歩いて数百メートルの田んぼの中にある。
「萩塚様 村指定史跡
指定年月日 昭和63年6月1日
所在地 清川村大字三玉宇田南津留1376番地
管理者 宇田地区
 今を去ること千数十年の昔、延喜17年(917年)の頃藤原仲平が天皇の命令を受け、九州筑前国太宰府に安楽寺を建立するため下向し、豊後国緒方庄に館をかまえた。その頃緒方庄宇田の里に塩田大太夫といふ歴代同名を称する富豪が住んでおり仲平は大太夫ほ女を側女として、一人の女の子ができた。その女の子の名前は『華ノ下』と名づけられて、成長するにつれて絶世の美人となり、余り美しいので里の人々は『宇田姫』と呼んだ。
 近郷近在の若者達がこの天女の如き姫に何かの機会にふれようとしたが、寄りつくことができなかった。ところがその頃、この娘の心を強く引きつけ娘をして瞬時も忘れさせることのできない若者が現れ、夜な夜な二人は寄り添い、母親もそのことを知り若者の素性正体を確かめさせた。
 結果は、不幸にして若者は蛇身であったので親娘は動転するほどの驚きようだったが、娘は若者の分身を身籠っていた。驚くべきこの事実は、過ぎ去った悪夢であったと気をとりなおし、この子供を産むのだがこのお産所が萩塚様であると云われている。
 姫は、多くの萩の小枝を産褥に敷きつめて出産の潮時を待ったところ極めて安産することができた。しかも生まれた子どもは武勇にすぐれた大神惟基で、かの有名な緒方三郎惟栄の祖となる。
 現在でも、安産祈願の神としてお参りが多く、人間だけでなく、牛馬のお産の時でも萩の枝をもらい、お礼参りをしている姿を見かける。
 昭和63年6月1日 清川村教育委員会」(案内板から)
萩塚様遠景 宇田から祖母山遠望
 萩塚様から少し行くと展望が開け山が大きく見える。祖母山がどれかで、また悩む。



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