フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

鎌倉宮

鎌倉宮鳥居 鎌倉宮石段
 後醍醐天皇の皇子、護良親王を祀る。
「親王の身でありながら、武門の棟梁の地位をめざす護良の政治構想は、おそらく元弘の倒幕戦における、実質的な最高指揮官としての実績から生まれたものであろうが、父後醍醐のそれとは真っ向から対立する性格のものであった。やがて護良の令旨は、後醍醐の綸旨と統合するに至り、まず綸旨によって制限が加えられ、ついには無効とされるところまで追いつめられるのである。いかに綸旨の文章で書かれようと、所詮、令旨は令旨であり、綸旨を凌駕することは到底できなかった。」(P53)
「捕らえられた護良が、鎌倉に移されたのは、建武元年十一月のことであった。当時鎌倉では、前年十二月に成良親王を奉じて、関東鎮撫の拠点たる鎌倉府に入った足利直義が、実質的な行政権を掌握し、第二の武家政権樹立の足がかりを築いていた。護良は、この直義に身柄をあずけられたのである。『太平記』によれば、護良は「二階堂の谷(やつ)に土の籠(ろう)を塗てぞ置進(おきまいら)せ」られた。」(P64~65)
(森茂暁『皇子たちの南北朝』中公新書、1988から)
鎌倉宮土牢前門 鎌倉宮土牢
 拝殿、本殿の横を奥に行くと、菊の紋の門があり、その後ろに土牢がある。参拝者は、実はこの土牢を拝んでいることになるのだ。宝物殿はショーウィンドゥ方式で、騎馬姿の護良親王を見ることができる。
鎌倉宮宝物殿003

 いわゆる鎌倉時代の鎌倉が滅亡した後も、鎌倉は関東鎮撫の都として、重要な存在だったのだ。
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