フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

延暦寺根本中堂

根本中堂入口 根本中堂
 根本中堂は工事改修中。
「 感神院祇園社は、十世紀半ばには興福寺末寺だった。それを、戦争という手段に訴えて叡山が強奪した。祇園社の祭神は病気よけの牛頭天王、同体の本地仏は延暦寺の本尊と同じ治病の薬師如来である。菅原道真の怨霊を祭る北野社も叡山末寺となっていた。祇園社・北野社の祭礼が二大御霊会とされた。叡山が両社を傘下に収めていたことは、おそらく偶然ではないだろう。日吉神輿動座の際、この二社の神輿がお供することが多い。
 1147年、叡山の嗷訴の際、お供の祇園社神人が喧嘩事件を起こした。鳥羽院は『祇園社の乱行はけしからぬ。感神院が天台の末社というのは枝葉、本文は国家の鎮守というところにある。提訴内容を審議している最中に、合戦に及ぶとは何事か』と怒った。
 国家安泰の祈りのうち、首都の疫病消除という重要な役割を担い、京の人々の帰依が一番篤い祇園社が叡山の手中にあるというのは、政権にとって大きな重圧である。中世から今日まで日本最大の祭礼であり続ける祇園会が、これ以後ずっと、比叡山の勢力下にあったのだ。」
(伊藤正敏『寺社勢力の中世』ちくま新書、2008、P55)
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