フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

阿曽津千軒の位置

阿曽津千軒
用田政晴の「琵琶湖の水没村伝承」(『琵琶湖博物館開設準備室研究調査報告』第2号)の明治地測図による阿曽津千軒の範囲は、有漏神社が北の端に当っている。また、実際に千軒跡を訪れたインターネットの記録(例えば堅田)を見ると、奥山の地蔵堂と呼ばれる小さな地蔵堂があるようなのだ。これは、日を改めて今度は西野水道から北のルートを通って近づくのがよいだろうと思う。
 最新の地形図でも、西野水道から古保利古墳群を経て、稜線よりも西よりの道があるように見える。
阿曽津地形図
 今回は琵琶湖側では、竹生島と葛籠尾岬を、木ノ本側では湧出山(ゆるぎやま)を尻目に、賤ケ岳へ向けて尾根道を帰ることになった。上り下りはあるが、どちらかというと登り気味なので、脹脛が痛い。最後の写真は、賤ケ岳から尾根道をふり返ったところで、奥の三角峰が山本山である。
葛籠尾岬と竹生島 湧出山2 賤ケ岳から山本山尾根



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奥山の地蔵尊

    西野水道から古保利古墳群を経て、道はかなり広く、林道になっている。これだと、下から自動車でも来れそうだ。それが、奥山の地蔵尊の近くまで続いていた。地蔵尊から琵琶湖岸まではすぐ。有漏神社まで400mの道標があったが、湖岸沿いでは無理そうだし、そうなると岬の背を越えて行かなくてはならないだろう。ともかくこの辺りが阿曽津千軒跡ということだ。    

  • 2017/11/29(水) 05:47:08 |
  • フィールドノート(民俗野帖)

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  • 2017/11/29(水) 05:47:53 |
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