フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

今津港

今津港 竹生島接近 船内から竹生島
 6月2日、ホテルは竹生島へのチケットもパックになったものだったので、朝一番の淡海今津港へでかけた。竹生島も、雲に覆われているが伊吹山も見える。
「今津湊
 中世以来湖西有数の湊として栄えた。近世には若狭からの物資は九里半くりはん街道を越えて当地に至り、丸船に積まれて大津や湖東の湊に運ばれた。また若狭方面から竹生ちくぶ島(現東浅井郡びわ町)へ参詣に行く人々で繁盛した。天正一一年(一五八三)羽柴秀吉は若狭往還の荷物はすべて先例により今津浦に着けるよう命じている(「羽柴秀吉書状」河原林文書)。これは大坂城築城の際、今津に功があったためといわれる。」
「嘉吉三年(一四四三)には太良たら庄(現福井県小浜市)の正覚院宝永が鋳造した鐘が、同庄百姓らの手で当地に運ばれ、琵琶湖を経て京都東寺に運送されている(年欠四月二七日・一一月日「太良庄百姓等申状」東寺百合文書など)。また文明一一年(一四七九)六月、加賀から京都に帰る前権大納言中院通秀は、当地から坂本まで船で渡っており(十輪院内府御記)、問丸の存在(河原林文書)と合せて、水上交通の要衝となっていた。」(『滋賀県の地名』から)

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