フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

竹生島港

渡船1 渡船2 渡船3
 30分程で竹生島に到着。彦根からとか、巡礼の貸し切り船とか、いろいろ港に入ってくる。
「『古今著聞集』巻一六には齢七〇を超そうかという老僧が湖上を闊歩し、参詣に来た延暦寺僧を驚嘆させた逸話が載るが、現在でも島の北部にある霊窟とよばれる洞窟には注連縄が張られ、行者が修行を行っている。なお天保二年(一八三一)の堅田釣猟惣代一札(竹生島文書、以下断らない限り同文書)によれば「殺生禁制」の島とされており、「御島方八町之内」には釣船を入れること、風待ちのため湊に停泊することを慎み、風待ちで入津した際にも魚肉等を扱わないことを漁師仲間惣代の名で誓っている。」(『滋賀県の地名』から)
 ここで言われているのは、以下の物語だ。
「 いづれの頃の事にか、山僧数多ともなひて、児(ちご)など具して、竹生島へ参りたりけり。巡礼はてて、今は帰りなんとしける時、児どもいふやう、『この島の僧たちは、水練を業としておもしろき事にて侍るなり。いかがして見るべき。』といひければ、往僧の中へ使をやりて、『少人たちの所望かく候、いかが候べき。』といひやりたりければ、往僧の返事に、『いと易き事にて候を、さやうの事仕うまつる若者、只今たがひ候ひて一人も候はず。返す返すも口をしき事なり。』といひたりければ、力及ばでおのおのかへりけり。舟に乗りて、二三町ばかり漕ぎ出でたりける程に、張衣(はりぎぬ)のあざやかなるに、長絹(ちょうけん)の五帖の袈裟の、ひだあたらしきかけたる老僧、七十餘りにやあるらんと見ゆる、一人はぎをかきあげて、海の面をさし歩みて来るあり。舟をとどめて、ふしぎの事かなと、目をすまして見居たる所に、近く歩みよりていふやう、『辱(かたじけな)く少人たちの御使をたまひて候。をりふしわか者どもみなたがひ候ひて、御所望空しく御帰り候ひぬる、生涯の遺恨に候よし、老僧の中より申せと候なり。』といひてかへりにけり。『これに過ぎたる水練の見物あるべきや。』と目をおどろかしたりけり。」
(『日本文学大系:校注』第10巻、国民図書、1926、NDL digital collectionsから)
 本当に琵琶湖汽船の切符にも、霊窟のイラストがある。また、北に小島があり、竹生島本体の大島は浮遊するので、小島に繋ぎとめるというような行事もあるらしい。
竹生島01

竹生島港 竹生島上陸
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