フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

円朝、弟子師匠たちとの墓

円朝墓1  円朝墓2  円朝墓3

「東京都指定旧跡
 三遊亭円朝墓
 所在地 台東区谷中5丁目4番7号 全生庵墓地
 指定  昭和28年11月3日
  初代三遊亭円朝は、通称出淵(いずぶち)次郎吉といい、天保10年(1839)4月1日音曲師橘屋円太郎(出淵長蔵)の長男として江戸湯島切通町(きりどうしちょう)に生まれた。二代目三遊亭円生の門人となり、安政2年(1855)16歳で真打ちとなる。芝居噺で人気を博し『真景累ケ淵』や『怪談牡丹燈籠』『塩原多助一代記』などを創作した。本業の話芸以外にも點茶、華道、聞香、和歌、俳句、書画など和敬静寂の道に精通していた。建築、作庭にも秀で、自らの設計監督によって内藤新宿では、数奇屋造の家屋や茶室、更に新宿御苑を借景とした百坪余の枯山水の平庭を完成させた実績もある。また、臨済禅の修行においても、山岡鉄舟や由利滴水の指導の下に参禅し、難しい公案を喝破して居士号を授けられた。更に書画古美術品に対する鑑識眼は極めて高く、毎年円朝忌を中心に円朝の収集した幽霊画が公開されている。明治33年(1900)8月11日62歳で死去した。墓石には、山岡鉄舟の筆により『三遊亭円朝無舌居士』とある。
                                             平成13年3月31日 設置
                                             東京都教育委員会」

円生墓     ぽん太墓

三遊亭円生初代から四代目まで、三代目が円朝の師匠で、四代目は円朝より早く死んだはずだ。三遊亭ぽん太は彰義隊の上野戦争の時、円朝宅まで無事を知らせたとか。

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