フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

若狭土手

斐伊川河川敷公園 斐伊川ドローン 弥山山地
「若狭土手
 往古斐伊川の流れは、武志の地より北に向きを変え、西林木、日下に至り西流し杵築の海に注いでいた。
 斐伊川は度々の洪水で氾濫し、この地方の人々は苦しんだ。
 寛永十(1633)年五月出雲地方は大洪水で、武志土手は大きく決壊した。翌年の十一年に京極若狭守忠高が藩主として出雲に移封された。若狭守は斐伊川の治水に当り、斐伊川の本流を武志で向きを東に変え、宍道湖に注ぐ大工事をはじめた。
 工事の完成は、次の藩主の松平直政の時で、寛永十六年頃とされている。京極若狭守が手がけた大工事なので、この湾曲した武志土手を、特に「若狭土手」と称して後世に伝えられている。
 尚、この地方では土を高く盛ることを「わかさをかける」と言っている。これは若狭守が土を盛って、この武志土手を築いたからである。
                川跡地区明るい街づくり推進実行委員会」(案内板から)
 鹿島神社からすぐに、若狭土手への登り口があり、そこに子安観音堂も立っている。そこから土手に上り、斐伊川河川敷公園を下に見ながら、ドローンを飛ばす。ふり返ると弥山山地がよく見える。
子安観音堂 子安観音
スポンサーサイト

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hottalab.blog103.fc2.com/tb.php/868-c622b33b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad