フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

江戸時代の大土

さて翌十二日は、朝六ッ時過よりいずれも大土村を立ちて大日山の方へ行くに、人足同道の連中等一緒になりて、夥しき人数にて二町程続く。今日も北風にて白雲はたなびくといへども、次第に天気悪しくなり、先づ花立坂といふ極急峻なる坂を登り一ノ原に至る。それより暫く行きて二ノ原に至る。この所に大杉谷よりの出作り小屋一軒あり。よほど大きなる小屋なり。さて二ノ原と三ノ原の間、道の左に崩れ壁といふ岩あり。幅九尺許もあり。この岩を手にてかき取るにほろほろと崩る。よりて名付く。それより三ノ原に至る。この所は二千歩許の片下りの平地なり。この辺大杉谷へおろし作なり。四ノ原は三ノ原より右手に当り、山の腹にて、四ノ原は通らず。さて三ノ原より山の峰へ登る道はなはだ急なり。藤など下げて手綱にする所もあり。さて所々足掛りをこしらへ置きし故、ようやく峰へ登り付きぬ。

文政十(1828)亥年五月御郡奉行大日廻り、「江沼郡雑記」『大聖寺藩史談』
スポンサーサイト

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hottalab.blog103.fc2.com/tb.php/92-a8307d6d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

大聖寺藩史談

江戸時代には郡奉行が大土を通って、大日山まで登っていたのだ。

  • 2008/10/22(水) 22:02:49 |
  • what\'s new

FC2Ad