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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

浅野長治像

浅野長治像 義士堂
「三次浅野藩について
成立
 広島藩初代藩主浅野長晟の没後(1632)第2代藩主浅野光晟は異母兄浅野長治に5万石を分与し、三次藩を独立させました。
治世
 初代藩主浅野長治は(1613~1675)麻お・製鉄・製紙の産業や、牛馬市の開設、川漁の奨励、治水・築堤その他広く民政に意を用いる一方、学問を好み、尾関山山頂に天体を観測する「発蒙閣」を建設するなどして藩発展の礎をつくりました。
鳳源寺
 臨済宗鳳源寺は浅野家先祖の菩提を弔うため長治によって萬室慈眼浄光禅師が開山(1633)しました。境内の神道碑は父長晟の遺徳を称えるため、また鳳源寺に程近い日蓮宗妙栄寺は生母お岩の方(寿正院)のために長治が建立(1650)したものです。
藩廃絶
 「因幡守様」「鳳源院様」と慕われた浅野長治は、江戸で62歳の生涯を終え、遺体は三次の郷が一望できる比熊山麓椿原の高台に埋葬されました。その後三次浅野藩は、代々後継者に恵まれず5代88年で終に広島本藩に還付され(1720)断絶してその幕を閉じました。
三次藩と赤穂藩
 三次藩と赤穂藩はともに広島浅野藩を本藩とします。阿久利姫(1669~1714)は長治の側室お石の方の息女で7歳まで三次で生活し14歳で赤穂三代藩主浅野長矩(16歳)の許へ輿入れしました。刃傷事件の後は落飾して寿昌院(後に瑤泉院)と称しましたが、45歳で没し、その遺髪は姫の郷里三次鳳源寺の遺髪塔に安置されています。四十七士の一人菅谷半之丞政利は赤穂開城の後、縁者を頼って一時寺戸の甲斐庵に隠棲し、また寺坂吉右衛門も三次とのかかわりが伝えられています。三次藩士落合与左衛門は阿久利姫に従って赤穂藩の奥様付けとなり落飾後も三次藩用人として仕えました。墓は鳳源寺墓地にあります。                           三次ライオンズクラブ」
(案内板から)
神道碑 遺髪塔
 赤穂義士との関係も面白い。義士木像を納めた義士堂もある。
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