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フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

国玉神社中宮

中宮石段 中宮鳥居 中宮石灯籠
「求菩提山護国寺の発掘調査
  最初に調査のメスを入れたのは、かつての護国寺伽藍の多宝塔跡で、現在の国玉神社中宮社殿南側に位置する。中宮は頂上(781.6m)の上宮から130mほど下った標高642~645mの東斜面に所在する。
 求菩提山護国寺は養老四年(720)に行善和尚が隼人の乱の際、勅宣により求菩提山で異敵調伏の祈祷を行い、その報賽として伽藍建立を勅許された鎮護国家の道場と『求菩提山雑記』には記されている。
 護国寺伽藍の内容は山門・食堂・常行堂・鐘楼・講堂・多宝塔などでこれらが中宮の北山殿・鬼神社・仮殿と同居する形で存在した。これらは東面した階段状に続く4段の平坦地とその両脇の1段低い平坦地とに配置されていた。多宝塔はこの中で一番高い4段目の平坦地に位置する。最上部平坦面中央には北山殿が位置し山道を登ると正面に相対することになる。この向かって右奥には納経塔があり、この右脇から上宮につづく鬼の磴が始まる。そして向かって左側(南)に多宝塔が建てられていた。
 護国寺伽藍のほとんどは江戸時代末まで存続していた。多宝塔については、明治33年に崩壊するまで現地に残っていた。」
(棚田昭仁『求菩提山護国寺の発掘調査』豊前市教育委員会、から)
中宮国玉神社 国玉神社扁額
「お田植祭
 求菩提山、国玉神社中宮前の広場にて毎年3月の最終日曜日に行われる民俗芸能。かつて、豊前修験道の聖地として栄えた求菩提山のその最大の祭礼が「松会(まつえ)」と呼ばれるもので、そのうち田行事である「お田植え祭り」が今に伝えられています。その年の豊作を予め祝う予祝祭で、田植えにまつわる一連の農事風景を松役という演者や子どもたち(稚児・早乙女)がおもしろおかしく演じます。併せて神楽の奉納や神輿の巡行などもあり、山に春の訪れを告げる祭りとして多くの人が参拝します。
場所 求菩提山中宮(豊前市求菩提)
開催日 3月の最終日曜日
時間 10時~15時」
(豊前市観光協会HPから)
松会庭
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