フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

多賀神社

矢田竜宮神y 大橋川 多賀神社鳥居
「多賀神社
祭神 須佐之男命 伊弉諾命 伊弉冊命 宇津名媛命 事代主命 大己貴神
「出雲国風土記」の朝酌下社で歴代の国司から崇敬された殊に松平氏は信仰が厚く藩社として奉幣祈願が行われた。
 例祭 10月11日
                    平成7年3月 朝酌ふるさとづくり推進委員会」(案内板から)
多賀神社01
「当社鎮守の森を月向山(雲陽誌)といい、須佐之男命が新羅国より埴土の舟に乗り、沈香の青木積み出雲国に渡り、今の多賀の地に来られた時、多賀明神月向山に在りて「此の神崎を青木積みて通る日本は我国なり、この岸に舟を留めて汝は岸に上るべし、我は此に在り」といわれた。
 俄に雨が降り波風荒くなり、土をもりかけ、船は終に山となり、青木も生つき此の山を唐船山と名付け、今の宮地に宮作りされたものであるという。
 「須佐之男命はただちに陸に上りて、鳥上の峰に到り給えると、此地は風土記の所謂朝酌の促戸(せど)にして、春秋入出する大小の雑魚の捕れる所なれば、命鳥上へ宮定めし後も暫く此地に来り給いて御漁を獲らせ給ひ、殊に神無月(出雲は神有月)には、八百萬神出雲に集い給ふや」」
(多賀神社由緒書きから)
多賀神社石段 多賀神社左脇祠 多賀神社本殿 多賀神社右脇祠
 大橋川に面するすばらしいロケーションで、由緒書きにあるように、須佐之男の地域神話が生きている。眺めは良いが、境内の裏手は工事中で、社叢は浸食されつつある。大橋川はこのすぐ上流で、大橋川、剣先川、朝酌川の3川が合流している。


大井神社

大井神社参道 大井神社拝殿 大井龍神社
「大井神社
祭神 天照大神 誉田別命 天児屋根尊 健御霊神 中筒之命 大国主命 日本武尊
 『出雲風土記』の大井社で、当時大国主命を奉祀していたが、後世に他の神を合祀した。 例祭 10月9日
             平成7年3月 朝酌ふるさとづくり推進委員会」(案内板から)
 この神社の境内は藁蛇だらけである。

大井の池

大井池看板 大井池 大井池石碑
「大井の池
(島根の名水100選)
風土記時代から今日まで清冷な清水がいかなる日照りにも涸れることもなく湧出し飲料水や灌漑用水として利用され神池として尊ばれた。大井町の地名、大井神社の称号もこの池によるといわれている。
                 平成7年3月 朝酌ふるさとづくり推進委員会」(案内板から)
「大井浜
 海鼠(こ)・海松(みる)がいる。また陶器(すえもの)を造っている。」
(『出雲国風土記』から)
「 『風土記』島根郡大井浜には「陶器を造っている」との記述がある。簡単な記述であるが、全国的に見ても、地方における土器生産の場所を記した、奈良時代のほぼ唯一の記録である。
 さて、「陶器」であるが、現在須恵器と呼んでいる、窖窯(あながま)で焼く灰色の土器を指すとみられる。大井町周辺には須恵器を焼いていた窯跡が集中しており、大井窯跡郡と呼ばれている。」
(『解説出雲国風土記』解説38から)


朝酌の渡(あさくみのわたり)

矢田渡 矢田渡看板
8月3日は矢田の渡しから始まった。古代の朝酌の渡しがこの辺りだろうということだ。
「朝酌渡(あさくみのわたり)
 では朝酌渡はどこにあったのであろうか。現在も大橋川の両岸、松江市朝酌町と矢田町とを結ぶ矢田の渡しが運行されている。また、江戸時代には井ノ奥渡や、馬潟渡が古代の朝酌渡であるとする説もあったようである。
 古代の朝酌渡の位置について確定するのは難しいが、出雲国庁から延びる枉北道は矢田の渡しから井ノ奥地区にかけての辺りで渡河することになると想定されるので、このあたりに朝酌渡が推定できるであろう。」
(『解説出雲国風土記』解説37から)
 数時間後反対側からも撮影。
矢田渡反対側 矢田渡反対側看板


石宮神社

石宮神社配置図 石宮神社鳥居 (2) 石宮神社犬石 DIC_239.jpg
「石宮(いしのみや)神社
 御祭神は大己貴命(大国主命)であり、御神体は神代固有の霊石である犬石です。現在その霊石は、鳥居の両側に猪石が二体、神社拝殿の後ろに犬石が御鎮座されています。
 古くこの土地の人たちは、当社を武内宍道神社と呼んでいました。また、延喜式と出雲国風土記に宍道神社が登場していますが、それは当社であるという考え方があります。
 境内には、伊邪那美命、事解之男(こさかのおの)命、速玉之男命、石柝(いわさく)神、根柝(ねさく)神の五柱を祀っている熊岩神社や武内宿禰命を祀っている武内神社があります。」(案内板から)
 一番右の写真は社日塔と呼ばれるもの。「社日とは、社=地神を祭る春分・秋分に近い戊(つちのえ)の日のことをいい、この日、五穀豊穣を祈り、収穫を感謝した。そのことを示す五角形の標柱も俗に社日(さま)と呼ばれた。この習俗も大己貴神・少彦名神による国作り神話に由来するものであろう。」(村井康彦『出雲と大和』P244)
8月2日はこれで終わり。


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