フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

橘寺

橘寺遠景 橘寺本堂 橘寺放生池
6月18日、今院生と読んでいる「EXPLAINING PICTURES ; Buddhist Propaganda and Storytekking in Japan」 Ikumi Kaminishi, に出てくる飛鳥の橘寺に出かけた。聖徳太子御誕生所、という石碑が立ち、本堂は太子堂で、黒駒の銅像まである。
 掛け図八幅の聖徳太子絵伝があり、春と秋に聖倉殿で展示されるようだ。境内には善と悪の二面石がある。そして、親鸞聖人像が立てられていた。聖徳太子カルトは絵伝によって、浄土真宗に受け継がれたと、Ikumi Kaminishiが書いていたのは、確かであった。橘寺は法相宗から天台宗に移ったが、浄土真宗であったことはなかったのに、親鸞像があるのだ。
橘寺境内図 橘寺01


橘寺観音堂 橘寺二面石 親鸞像 橘寺聖倉殿
 

伊豆神社と湖族の郷資料館

湖族02
浮御堂近くの「湖族の郷資料館」へ行って話を聞くと、伊豆神社というのが、この辺で一番古いと聞いて途中にあった伊豆神社に行って見た。
「伊豆神社 [現]大津市本堅田一丁目
 堅田かたたの宮みやの切きりに鎮座。文政八年(一八二五)の本堅田村絵図(当社蔵)では堅田藩陣屋の南西にあり、四方を琵琶湖に通じる堀で囲まれる。中・近世には堅田大宮と称され、宮の切の名は当社に由来する。「輿地志略」には走湯はしりゆ権現社とある。旧村社。現祭神は大山祇おおやまつみ命であるが、元禄一一年(一六九八)の本堅田村明細帳(居初文書)などには伊豆大権現・神田大明神とみえる。比叡山の法性坊が諸国を修行中伊豆三島みしま(現静岡県三島市)を通った際、権現が笈に乗移り、当地に勧請されたという。また宮の切には大友皇子が住んだといい、当社の祭神を大友皇子とも伝える。神田大明神は京都下鴨社の別所とされるが、中世、当地に同社領堅田御厨が置かれていたことに関係するものと考えられる。」
(『滋賀県の地名』から)
 これで6月2日の予定は終了。帰途につく。
伊豆神社参道 伊豆神社堀 伊豆神社拝殿

浮御堂

満月寺山門 浮御堂
「浮御堂の歴史
 近江八景の一つ堅田の落雁として有名な堅田の浮御堂は、びわ湖の最狭部に位置し、海門山満月寺と称する禅寺で京都紫野大徳寺に属する。昔一条天皇の長徳年間(西暦995年頃)比叡山横川恵心院に住した源信(恵心)僧都が、びわ湖を山上より眺め湖中に一宇を建立して自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称し湖上通船の安全と衆生済度を発願したに始まる。因みに僧都は、我が国の宗教思想に大きな影響を与え、浄土教学の基礎を樹立した『往生要集』の著者である。真宗伝灯第六祖と仰がれている。」(パンフレットから)
浮御堂橋 浮御堂仏壇

白髭神社

内外宮・八幡三社 天満・波除稲荷・寿老神・鳴子弁財天 岩戸社 岩戸
 若宮社の後ろが山の斜面で、森になっている。そこに八幡三社・内宮・外宮が横並びにある。その裏には、赤い小さな鳥居の後ろに、天満社・波除稲荷社・寿老神社・鳴子弁天社が並ぶ。さらにその後ろに岩戸社があり、横に磐座が祀られていた。
白髭01

白髭神社 白髪神社境内 大鳥居
 湖側から、白髭神社を見上げると、背後の375m峰がきれいな三角形になっている。これはまさに神体山だろう。

竹生島

宝厳寺石段1 宝厳寺2 宝厳寺3
 165段の石段を登り切ると宝厳寺弁天堂。三重塔。重文五重石塔など。
竹生島02 竹生島006
宝厳寺弁天堂 宝厳寺五重石塔 宝厳寺三重塔 三龍堂
 それからおもしろかったのが、行尋坊天狗同というのがあった。観音堂、唐門、都久夫須麻神社などは修理中で、立ち入れない所も多く、また直ってから来なくては。
天狗堂 弁天像 舟廊下 都久夫須麻神社本殿








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