フィールドノート(民俗野帖)

「研究ノートと書評」改め

谷風岩五郎墓

谷風墓
首地蔵のすぐ下に谷風の墓がある。
「谷風岩五郎の墓
 江戸末期小浜の米穀商(屋号末鶴)に生まれた。十才で米一俵を持ちあげたといわれている。十八才で相撲界に弟子入りし、五年後前頭まで出世した。四股名を若の柳安太郎と改め、明治5(1872)年故郷に錦を飾り皇大神社境内で大相撲が開催された。
 明治9年に大関に昇進し、谷風岩五郎と改名した。」
(案内板から)
 その下は共同墓地。
小浜墓地 無縁塚
「この墓地には古く江戸末期の刻字のある多数の墓石が散在していました。ここに無縁塚を設け今後の供養を行います。三界萬霊塔『文化3(1807)年武庫川の洪水の犠牲となった身佐村の人の霊を弔う供養塔』を中心に約弐百余の無縁墓石が合祀されています。    平成23年1月 小浜共同墓地管理運営委員会」

小浜の首地蔵

小浜案内01 南門跡
皇大神社から南へ。南門跡を過ぎて、南下すると、宝塚大橋の方へ向かう交差点に出る。少し戻って西への小道を行くと、高台に小浜の首地蔵があった。
首地蔵石仏 小浜の首地蔵 首地蔵から展望
「小浜の首地蔵
 大昔小浜がまだ浜辺であった頃、打ち上げられたとか、伊丹の殿様の夢枕にお告げがあり持病の頭痛を治してもらったお礼に刻んだとか、これを土地の人々がこの高台に運び上げ、お堂を建て安置しようとしたところ、大工が病気で倒れてしまい、代わりの大工に依頼してお堂の建立にかかりましたが、その大工も病気になり、この現象を見て土地の人々は、きっとお家にはいるのをお嫌いになっているのでしょう。と雨ざらしのままお祀りすることになったと伝えられています。」
(案内板から)

小浜宿 皇大神社

小浜宿地図
 我が家から歩いていけるところに小浜宿がある。暑い7月3日出かけてみた。天王寺川を渡り、池に沿って行き、中国自動車道をくぐると東門跡があり、そこが小浜宿だ。
東門跡 奉行所跡 皇大神社鳥居
 代官所跡には高札台のみが残っている。さらに行くと皇大神社がある。
「皇大神社の御由緒
 創建年月は不詳。古伝に創建嘉吉元(1441)年と伝えられております。
 伊勢神宮の御神体を崇め天照皇大神をお祀りしています。
 また、身佐神社は、奈良県高市郡明日香村身狭(見佐)と小浜のほとり身佐の二社に天武天皇「生霊の神」としてまつられたと摂津国名所図会にも記載されていますが、明治三十年の武庫川大氾濫により見佐村全体が流出してしまい、大正元(1912)年に小浜皇大神社に合祀されました。」
(案内板から)

保津川下り

沈下橋 川下船 請田神社
 6月27日。毎年やっている保津川エコツァー、学生たちと川下りしながらゴミ拾いしたり、船曳を体験したりして一日を過す。今年は天候不順で、4回ぐらい延期でやっと実施できた。
ゴミ拾
最後には保津川を開削した角倉了以縁の千光寺大悲閣へ。
角倉了以 川絵図
角倉了以木像と川絵図。
嵐山小橋

亀岡町家

チラシweb 南郷公園 亀山城内堀
(公財)生涯学習かめおか財団主催、「暮らしのデザイン 町家編」によるフィールドワーク。南郷公園で集合してから町家を見て歩き、福田敏朗(建築学)氏の解説を受ける。
平入妻入 格子 ウォークコース

例えば、左の写真は、左が平入、右が妻入の民家。亀岡や園部は城下町の形成にあたって近在からの移住が命じられたという。丹波と摂津が接する地域にみられる農家は摂丹型といわれ、妻入、片土間、居室一列の形式を持つ。亀岡の妻入町家もこの形式が持ち込まれたものであろうということだ。
柳町会議所
 一堂柳町会議所に着き、講演会
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